- 2019.03.09
- 書評
何が現実か? 価値観を揺さぶられ霧の中を彷徨うような酩酊感を味わう
文:末國善己 (文芸評論家)
『死仮面』(折原 一 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
一方、麻里夫の小説の清書を進める雅代は、作中にアルファベットで記された地名が、「K市」=熊谷市、「Y」=寄居、「JRのH線」=八高線、そして「僕」が最も利用する「O駅」が折原駅だと気付く。著者の名前と同じ折原駅近郊が物語の舞台に選ばれているのは、著者の遊び心だろう。壮太郎の屋敷には、「全身骸骨、動物の剥製」などが展示された一室があるが、著者は骸骨をモチーフにした絵画や彫刻のコレクターでもあるので、壮太郎のコレクション癖は著者のセルフパロディとみて間違いあるまい。二〇一八年には、著者のコレクションがヴァニラ画廊の「メメント・モリ展」で紹介され、骸骨に囲まれた仕事部屋も再現されていた。
小説を読む雅代は、物語の舞台となった折原駅近くに行けば麻里夫の手掛かりが見つかるかもと考え現地に向かう。だがそこには前夫の英樹がいて、雅代が追跡をかわすトラップを仕掛けても執拗に追ってくる。物語の中では、「僕」がいじめグループの竹原、佐々木、さらに交際を始めた菅野と共に壮太郎の屋敷に乗り込むも、六回に一回の確率で実際に人間の体を切断するロシアン・ギロチンなるゲームへの参加を迫られていた。英樹に情報を流している人間が誰かを考えながら、ストーカーからの逃走をはかるスリリングな展開と、危険なゲームから生き残りをはかる方法を模索する静かなサスペンスが同時に進む中盤の迫力には、圧倒されるはずだ。
本書は、雅代が麻里夫の書いた作中作を読む形になっていた。ところが物語が進むと、雅代が夢の中で書いた助けを求めるメモが作中作の中に登場したり、「僕」が父の書いた『雅代の物語』のノートを見つけたりしたことで、どちらが現実で、どちらが作中作なのかが曖昧になっていく。これに雅代と「僕」が見る幻想的な夢も加わるので、読者は霧の中を彷徨っているかのような酩酊感を味わえるだろう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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