『ドグラ・マグラ』を読むと、自分は何者か、自分の記憶は正しく、正常に思考しているのかが分からなくなり、不安になる。本書も不安を掻き立てるが、麻里夫が誰かを調べる雅代の調査や、父の行動に不審を抱く「僕」の姿などで、家族でさえも相手を理解していないかもしれない現実を暴き、犯罪のテーマパークとでもいうべき壮太郎の屋敷に惹き込まれていく「僕」を通して、ごく普通の人間が簡単に悪の側に転がる可能性を指摘するなど、現代人が内心で恐れていることを掘り起こしているだけにリアリティがあり、雅代や「僕」が感じる不安や戸惑いには共感も大きいはずだ。
合理的な謎解きと物語を錯綜させる相反する要素を使い、自分は友人や家族のことを理解できているのか、自分が悪に魅了されることはないのかなどを問い掛ける本書は、読者の価値観を揺さぶる意味でも優れたミステリなのである。