半二とは何者だったか?
呂太夫 よく『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』は三大狂言と言われますけど、半二が『妹背山婦女庭訓』を書いたのは、その時代より少し後です。もし同じ時代だったら、四大狂言とされていたくらい素晴らしい作品ですし、近松半二がいたからこそ、現代まで文楽がつながれ、生き残ってきたともいえます。
近松門左衛門が興し、三大狂言の時に栄えた人形浄瑠璃が、一時期、歌舞伎にずいぶんお客さんをとられていました。そんな時期に、『妹背山婦女庭訓』が大評判を集めただけでなく、『本朝廿四孝』『新版歌祭文』『伊賀越道中双六』など、現代でも上演される多くの名作を残しています。
大島 伊賀越という大作は半二の絶筆になったわけで、もう人生の最期の最期まで現役だったんですよね。
呂太夫 お客さんに観たい演目のリクエストを受け付けると、いまでも『新版歌祭文』の「野崎村の段」がナンバーワンで、ナンバーツーが、同じく半二の代表作『傾城阿波の鳴門』の「巡礼歌の段」です。古くから浄瑠璃の盛んな淡路や徳島では、もう「アワナル(阿波鳴)」は避けて通れない。近松半二の作品はそれだけ人気があるんです。
大島 半二の功績としては、近松門左衛門の『心中天の網島』を、新たに『心中紙屋治兵衛』と改作して歌舞伎に移した「河庄」も有名ですよね。『曽根崎心中』も『往古曽根崎村噂』としてリメイクしています。
呂太夫 門左衛門に半二、ふたりとも近松だからややこしいんやけど、時代がまったく違うし、血縁関係もない。門左衛門の後に、三大狂言の作者で竹本座の並木宗輔(千柳)や竹田出雲(二代目)、三好松洛の世代があって、半二はその後のいわば孫世代にあたります。
大島 語弊があるかもしれないんですけど、半二の作品の登場人物は妹背山のお三輪ちゃんもそうですし、どこか現代人の気持ちに通じやすいところがあるというか……。
呂太夫 近松門左衛門の頃は、人形をまだ一人で遣っていましたし、その頃の語りは文脈の強調が主流だったのでは、と感じています。
大島 半二の時代になると、どんどん登場人物たちのセリフというか、会話が多くなりますね。
呂太夫 門左衛門の文章はすごく凝っているけど、時代を経るうちに聴いているお客さんに迎合するというか、みんなに分かりやすいよう技術的には進化していきます。やはり言葉もどんどん変わって、もっと語りやすい文章にしたのが竹田出雲や並木宗輔で、さらに半二が当世の言葉や感覚に合わせて分かりやすくしました。
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