- 2019.05.31
- 書評
17歳のときにこの小説に出会っていたら……5人の少女たちへの願いとエール
文:枝 優花 (映画監督)
『17歳のうた』(坂井希久子 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
Hero
留子は憧れの存在である従姉妹の奈美に対し、自分にはない魅力があると理解しながらも、彼女とどこかで繫がっていると信じていた。しかし17歳の春、留子は奈美に対し「昔みたいに通じ合えない。使える言葉が増えた代わりに、テレパシーがなくなった」と感じる。私はこの言葉に胸がざわついた。
歳を重ねていく中で、私たちは沢山の人々に出会う。そして膨大なデータを得る。この人は私に合う人間か、この人との付き合いは私の人生に得をもたらすか、なんて今まで出会ってきた人たちから収集したデータを基に人間関係を構築しようとする。それが合理的であって、一番正しいように思えるからだ。だが、本当にそうか。留子が奈美に出会ったとき、留子は言語化できないテレパシーを感じた。きっと自分にとって大切な存在なんだと。それが10年の月日を経て、テレパシーは消えたと留子は感じ、それ以上奈美に踏み込まない。心のどこかで「大人になる寂しさ」を理解し、諦めてしまう。さらに留子は、マグロ漁師の父に対し「マグロに取り憑かれてしまった哀れな男」、つまり自分には到底理解できない(テレパシーなど毛頭通用しない)人間と思っている。そして、父と叔父(奈美の父)の不仲についても理解ができないでいる。それでも心のどこかで、相手をわかりたい、相手に理解されたいと思っている。
これは留子が他者に踏み込もうとしない限り、超えられない境界線なのではないだろうか。私たちはテレパシーだけでは生きていけない。言葉にして、分かり合えると思っていた幻想を捨て、他者という見えない深い海に飛び込むことで、誰かとようやく繫がり、人生が新たに色付きはじめる。留子は両親の背中からそんなことを感じ、ゆっくりと大人への境界線を超えていくようで、胸のざわつきがじんわりと温かくなった。
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