「ねえグーグル、今日の予定は?」
「今日のカレンダーには3件あります。15時から電通で澤本さんと打ち合わせ、17時から日本テレビで「バンキシャ!」の取材、19時から小学館相賀さんと麻布十番桂浜で会食です」
まだ11時前だから、シャワーを浴びる時間を考えても3時間以上は眠れる。本当は電通との打ち合わせも飛ばしてしまいたかったが、ただでさえ著作権者の娘というのは、驕慢(ごうまん)に思われがちだ。慎ましやかであるくらいが丁度いい。きちんと14時50分には汐留に着くようにしよう。
「ねえ平成くん、私ちょっと寝てくるね」
「僕もこのエッセイを書き終わったら、少し仮眠しようかな」
「しっかり7時間眠ったんじゃないの」
今度は彼がその質問に答えない。中学生の頃からマイスリーが欠かせない私と違って、彼が睡眠で困っているのを見たことはない。
この家で私たちはそれぞれ自室を持っていたが、寝室は共有している。平成くんの性格を考えてベッドルームを分けようかと提案したこともあったが、彼は同じベッドでいいと言った。その言葉通り、彼はいつもベッドに入ると、まるで機械のように、ものの数分で眠りに就いてしまう。私は一晩のうちに何度も中途覚醒してしまうのだが、彼が夜中に起きているのは見たことがない。だから安楽死と聞いても、彼が鬱病や精神的ストレスに苦しんでいるという線は一切疑わなかった。
もちろん、長寿が善とされてきた社会で、「死にたい」と願うことはそれだけで異常に違いない。だけど、実際に自殺か安楽死を選ぶかは別として、「死にたい」と思う人は決して少なくないという。さっき読んだ本によれば、「本気で自殺や安楽死を考えたことがある」という人の割合は25%に達するといい、特に20代では何と45%に自殺念慮があるらしい。人生100年時代と言われ、多くの人が長寿を手にした時代に、多くの若者が死に憧れるのは皮肉だと思った。
パウダールームでメイクだけを落として、彼とお揃いで買ったマシュマロガーゼのパジャマに着替える。セックストイが並んだベッドルームは、分厚い遮光カーテンが閉まったままになっている。彼はどれほど明るい部屋でも眠れるらしいが、私は少しでも光があると入眠できない。ウーマナイザーが充電中であることを示す緑色の点滅さえも気になるくらいだ。
彼と一緒に銀座のショールームで選んだテンピュールのマットレスに横になる。睡眠時間に変化はないが、テンピュールを買ってからは、ベッドの上にいることが苦痛ではなくなった。枕元に置いてあるマイスリーを5ミリグラムだけ飲んで、目を閉じようとする。そのタイミングで、彼がベッドルームに入ってきた。シャツもパンツも番組に出た時のままだ。もちろんミライの毛がたくさんついている。しかも靴下も履いたままでいた。
「着替えないの? 皺になっちゃうよ」
「どうせクリーニングに出すから」
そう言って、そのままベッドに入ってくる。セックス嫌いを公言する彼は、往々にして綺麗好きの潔癖症と勘違いされるのだが、それには全く当たらない。使った物は平気で出しっ放しにするし、着た服も散らかしたままでいる。他人の体臭や体液には敏感だが、自分自身の汚れには全くの無頓着なのだ。番組でセットしてもらった髪にはワックスもスプレーもついたままだろう。
私たちは、いつものようにキングサイズのベッドの端と端で横になった。さっき飲んだマイスリーが効いてきて、感覚が少しずつ朦もう朧ろうとしていく。右手を伸ばして彼の身体を探そうとしたところで意識が落ちた。
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