事態が変わったのは1990年代に入ってからのことだ。1991年に神奈川県の東海大学付属病院で、医師が末期癌の患者に塩化カリウムを注射して、殺人罪に問われるという事件が起きた。昏睡状態にあった患者に対して家族は「もうこれ以上見ていられない。楽にしてやって欲しい」と主張した。医師は当初抵抗したものの、結果的に患者への延命治療を中止し、家族の目の前で塩化カリウムを注射してしまう。患者は急性高カリウム血症でほどなく死亡した。
医師を擁護する声も多かったが、殺人罪で起訴され、1995年に横浜地裁は懲役2年、執行猶予2年の有罪判決を下している。この事件では患者本人の意思表示がなく、日本安楽死を考える会も「自分たちの運動の趣旨とは合致しない」と医師の行為を批判した。
しかし、判決では「人間には死の迎え方を自ら選ぶ権利がある」として、延命治療の打ち切りといった「消極的安楽死」は違法ではないという判断も示していた。
もう物心ついていたはずだが、このニュースのことは全く記憶にない。とにかく、東海大の事件をきっかけとして、再び安楽死に関する議論が活発になった。
高齢化が始まった日本社会では、自分や家族の介護や看護に不安を感じる人々が増加していて、彼らにとって安楽死の合法化は切実な問題だったのである。多くの政治家たちも安楽死に前向きな姿勢を示した。反対派は「姥捨て山の再来になりかねない」「社会保障費の削減の手段として使われる」と主張したが、世論調査でも安楽死を容認する声が多数だった。
1999年には、超党派の議員連盟が法案を国会に提出し、要請に基づく生命終結および介助自殺に関する法律、通称安楽死法が成立する。1995年の横浜地裁判決を受けた法律であり、この時点では積極的安楽死が認められるのは、死期が迫っており、耐えがたい苦痛のある患者に限定されていた。もちろん、本人の意思表示も必須要件である。世界に先駆けて成立した安楽死法だったが、一度施行されてからは、大きな反対の声は聞かれなかった。それどころか、安楽死の適用範囲を拡大して欲しいという声は強まる一方だったのである。
日本に遅れて安楽死法を施行したオランダとベルギーでは、肉体的苦痛に限らず精神的苦痛を理由にした安楽死の実施も容認された。両国では、性転換手術の失敗、性被害のトラウマ、聴覚障害や視覚障害を理由にした安楽死の例さえあった。一方の日本では2000年代初頭、年間3万人ほどの安楽死の届け出があったが、どれも終末期の患者ばかりで年齢は80代以上に集中していた。
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