チョコレートアイスにバジルとピーナッツが添えられたデザートが運ばれてくる。彼は鴨こそ完食したようだが、魚料理は金目鯛をほんの一切れ食べただけで、ほとんどそのまま残されていた。サーバーに「お下げしましょうか」と聞かれたが、彼が答える前に「そのままにしておいて下さい。彼、ピーマンとエリンギ好きなんで」と満面の笑みで伝えた。平成くんが驚いたような顔をしてこちらを見遣る。サーバーが出て行ったのを見届けた後、怪訝な顔をして私に不平を言う。
「なんで嘘をつくの? 僕がピーマンもエリンギも嫌いなこと、知っているでしょ」
「見ててあげるから、今日は食べて」
「嫌いだとわかっているものを無理して食べる理由はないよ。ピーマンの主たる栄養素はカリウム、β‒カロテン、ビタミンC。エリンギは食物繊維とナイアシン。どちらも他の野菜やサプリメントで十分に代替できる」
「そういうことじゃないの。平成くんは気が付いていないかも知れないけど、私は今、少し気が立っているの。せっかくの日曜日の夜に、大好きな人からいきなり安楽死を考えていると打ち明けられて、その理由がとにかく自分勝手で、まがりなりにも一緒に暮らしてきた人間に対する配慮はほんのひとかけらもない。そして何より、聡明なはずの君が、どうしてそんな穴ばかりの理屈で死のうと考えているのか全くわからない。ついでにいえば、私、小沢健二の新曲、嫌いじゃないから。だからピーマンとエリンギくらい食べて」
どう考えても、私のほうが穴ばかりの理屈で、全く論理的でないことを話していた。この国に住むほとんどの人は「だから」や「つまり」といった接続詞を正しく使えない。私もその一人だが、さすがに「だからピーマンとエリンギを食べて」は意味不明だと思った。私は今、滅茶苦茶なことを言っている。
平成くんは私をしばらく見つめた後、おもむろに立ち上がって、ドア付近の小テーブルに載せられたワインクーラーからサンペレグリノを取り出し、自分のグラスになみなみと注いだ。そして立ったままの状態で、ピーマンとエリンギを手づかみで口の中に放り込み、一気に水と共に飲み込む。
長い指を額に当てて顔を隠しているが、彼が苦悶の表情を浮かべていることはわかった。眉間には皺(しわ)が寄り、大きな唇が右寄りに歪んでいる。ピーマンもエリンギもそのまま飲み込んだのだから、味も何もわからないと思うが、もしかしたら息ができなくて苦しんでいるのかも知れない。その姿が滑稽で、私は笑い出してしまった。
「平成くんのそんな姿、初めて見た」
「最後かも知れないから、見せてもいいかなと思ったんだよ」
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。