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【冒頭立ち読み】『剣樹抄』(冲方丁 著)#2

文: 冲方 丁

『剣樹抄』(冲方丁 著)

 大まじめに進言したところ、そのように復興されることになったのだった。

 その光國が、職人の巧みな技を真似つつ、

(屋敷普請で、上野に出る口実を得たな)

 つい昔のように遊びのことを考えたところへ、側近が駆け寄ってきた。

「御屋形様がお呼びです」

 水戸藩主・頼房、つまり父のことだ。水戸徳川家の家祖として屋形号を頂戴していた。

「水を浴びる。少し待て」

 光國は井戸へゆき、衆人環視も気に留めず水を浴び、汗を流した。素晴らしく気分が良かった。一時、火災のせいで空気と水が悪くなり、光國も妻も病に伏した時期があった。母や奥の者たちなど今でも咳が出るし、父も持病の腫れ物がひどくなりがちで頻繁に湯治に出るようになった。

 だが今、少なくとも光國は壮健そのものだ。すっきりした気分で見上げた青空が妙に広く感じられる。御城の天守閣がぽっかり消えたからだろう。大火災で焼失したのだが、再建の予定はなかった。今、江戸で戦が起こることはないのだから、天守閣再建よりも市中の道路、上水、建物の復興に予算を回すべきだという進言があったのだという。

(幕閣にも優れた判断をする者がいる)

 光國はふてぶてしくも、そう考えていた。

 泰平の世には、戦国の世とは異なる発想が求められる。幕閣では長らく文治派と武功派が対立していたが、このところ戦備より庶民の生活を優先する政策が目立ってきている。

(江戸が変わるな)

 漠然とした予感を抱きつつ支度を調え、馬に乗ると、一家の仮の住まいである駒込の中屋敷へ文字通り馳せ参じた。

 

「一つ、お務めを任せたい」

 父の頼房が言った。この父は何かと茶室に光國を呼ぶ。かつて父からだしぬけに縁談のことを聞かされ、婚儀に反発する光國と父とで大喧嘩をしたのも茶室でだった。騒ぎになったとき、あらかじめ人払いしているのだから、紛糾すれば父は茶室の外にある刀を引っつかんで抜きかねない。

 そういう父である。光國はもはや達観の境地で受け入れ、ゆるゆる茶を喫し、尋ねた。

「いかなる務めでしょう」

「今年の正月から、狼藉する者どもについて流言が飛び交うことしきりだ」

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剣樹抄冲方丁

定価:本体1,500円+税発売日:2019年07月10日


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