この種の感想を聞くのは筆者には二度目になる。もう三十数年の昔、綾辻行人の『十角館の殺人』が世に現れた当時、何度か聞かされたものに似ている。
『十角館の殺人』の場合は、「推理材料の最少提供」という明確なコンセプトがあって、いわゆる人間が描けていないという評価は、構造的に誤っていた。人間を描かないことで犯人の隠蔽がもくろまれていたのであるから、旧作法の描写を用いれば、作者の営為は成立しなくなる。少なくともこの秀作においてはそうで、評価の側は、軽々に前例に寄りかかることなく、無思慮な上から目線に陥りがちの傾向をよく自覚自重して、右の点を考慮しながら論評を為すべきであった。
また『十角館――』は、関係人物最少描写、これを日本人は「人物記号化表現」と称し、アメリカ人は「ミニマリズム」と表現するが、これを用いるという固有のルールを前提としていた。が、それでもこの小説は結部において、犯人がこの孤島で悲劇を引き起こす決意をした動機や、犯人の人間的な姿が書き込まれており、決して人間ドラマを完全否定していたわけではなかった。しかし当『H.A.』においては、推理のゲームたる「本格」の部分において動機の説明を否定し、人間ドラマとしての描写を放棄する。彼女の「ミニマリズム」はさらに進行して、フーダニットとホワイダニットは不要であるとまで断言する。
これが新世紀の新しい本格の姿であり、新しい小説スタイルの可能性という主張がここにある。そしてこの考え方への当否を、作者は選者に問うているように思われる。
筆者に真にジャッジが行えるのは、この作全体が日本語に翻訳された際になるであろう。またハウダニットに特化した今回の方法の当否に関しては、それを自身の創作に限らず、さらにオンラインゲーム本格に限らず、フィールドの今後の本格創作総体という意図で述べているのか、それとも自身がオンラインゲーム世界を舞台に選んで本格を書く場合にのみ、これがよいと主張しているのかによっても変わってくる。
後者であるならば、充分に首肯し得る。綾辻世界が散々に批判を浴びたのちに、アニメ動画の動きが世界を覆うようになってくると、十角館内部の者の言動アクションを、あの動画世界に転換してみて、作者の主張を多くが次第に首肯するようになっていった。
今回、これがさらにオンラインゲーム内部に進展したと考えれば、キャラクターの表情や動きがますます整理され、抽象化される方向と理解されるので、ゲーム内部においては、超感情的「ハウ」にのみ興味を限定するという判断は、充分に合理的なものと同意ができる。
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