別冊文藝春秋

『新しい星』彩瀬まる――立ち読み

文: 彩瀬まる

電子版27号

「別冊文藝春秋 電子版27号」(文藝春秋 編)

 家はとても静かだった。父も母も出かけていたのだろう。日差しに浮かぶ星のような埃の粒を眺めながら、青子はほんの数ヶ月のうちに自分の身に降りかかった出来事を漠然と思い返した。いや、思い返すというよりそれらの出来事は青子の脳に常に居座り、芯まで冷えた小石さながら、彼女のエネルギーを吸い続けていた。どれだけ辛くても、もう二度と体の外に出せない悲しみのかたまり。青子は産まれて間もない子供を保育器の中で亡くしたばかりだった。そしてトラブル続きだった妊娠期間を通じて、自分の体が――アレルギーも持病もない、むしろ人よりも丈夫なくらいだと信じていた体が――子供を育みにくい性質を有している可能性があることを知った。それが決定的な理由となり、夫の穂高(ほだか)と離婚した。

 よい恋愛をしたと思っていたし、よい結婚をしたと思っていた。よい出産、よい子育てへ、道は真っ直ぐに続いていくのだと意識すらせずに信じていた。展望を失い、一時的に実家に身を寄せた青子は、汚水を吸った綿にでもなった気分だった。黒く濁った心身のどこにも力が入らず、ふとした拍子に涙が止まらなくなり、枕で口を塞いで絶叫した。消毒した手を保育器の小窓に差し入れて触れた、赤みを帯びた新生児の体。つまめばちぎれてしまいそうな頼りない皮膚、肋骨のおうとつ、淡く開かれた水っぽい瞳。そんな美しいものを思うだけで、全身から愛おしさと悲しみが鮮血のように噴き出し、止まらなかった。

 なにかを思えば涙になる。叫びとして、ほとばしる。実家に戻って一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、一つの季節が過ぎる頃、あらゆる感情を放出し続けた青子は、自分が空っぽになったような虚脱感に襲われた。出せるものを全て出し切ってしまうと、なにも思わず、なにも考えずにリビングで転がっている時間が増えた。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版27号文藝春秋・編

発売日:2019年08月20日


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