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「純粋物語」の誘惑【作品論】<阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ>

「純粋物語」の誘惑【作品論】<阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ>

文:斎藤 環

文學界10月号

出典 : #文學界

 本作のストーリーはかなり複雑である。とはいえ、前二作の予備知識がなければ読めないという作品でもない。本作だけ読んでも十分に楽しめるし、ここを起点として前の作品に遡るのもありだろう。

 まずはおおまかなストーリーを要約してみよう(ただし前半部のみ)。

 2011年7月に起きた永田町直下地震は、国会議事堂をはじめ国政の中枢を一気に崩壊させた。なんらかの爆発物によるとの説が有力となったが、真相ははっきりしない。物語後半でその原因は、スーツケース型核爆弾だった疑いが濃厚となる。この地震を契機に首都機能移転が現実のものとなり、移転先には何の因果か、山形県東根市神町が選定されたのである。

 作家・阿部和重の自宅を、瀕死のラリーが訪問する導入部はすでに紹介した。阿部による手当ての甲斐あって回復しつつあるラリーの口から、驚くべき事情が語られる。ラリーは実はCIAのケースオフィサーで、彼の仕事はオバマ大統領の新都(=神町)訪問の最終調整をすることだった。CIAはかねてより神町の一族・菖蒲(あやめ)家の監視を続けており、ラリーはそのチームのリーダーだった。菖蒲家には一子相伝の人心操作術「アヤメメソッド」が伝わっており、CIAは洗脳や自白の技術に対する関心から、菖蒲家に近づいたのだ。ラリーは菖蒲家の番頭格であるオブシディアンと恋人関係になり、内通者として確保したが、任期が終わり帰国する。その後、ラリーは先述したようにオバマ訪日に合わせて再度来日し、どうやら身内の裏切りによって、セーフハウスに仕掛けられた爆弾の爆発で腹部に裂傷を負うことになる。

 オバマの来日が迫る中、ラリーは神町にスーツケース型核爆弾が持ち込まれている可能性に思い至り、阿部和重に協力を頼んで「核疑惑」の潜入調査を試みる。神町は阿部の故郷であり、いままさに妻が映画撮影を進めている町でもある以上、その依頼を断るわけにもいかない。かくして抗うすべもなく巻き込まれた阿部は、権謀術数渦巻く神町へと、ラリーに購入させられたアルファードを走らせる……

 こうして書き出してみると、阿部が自ら作成した神町の(架空の)年表や、詳細なキャラクター相関図(作中でアレックス・ゴードンが作成したような)を壁に貼り出しながら物語を構築し、『ピストルズ』がそうであったように、ネット検索を駆使して細部に情報を充填しつつ「修行」のように文章を彫琢していくさまが目に浮かぶ。ひょっとすると漫画家の荒木飛呂彦のように、キャラクターごとの「身上調査書」を作っている可能性すらある。

 ミステリという勿(なか)れ

 本作に至ってはっきりしたことがある。「神町サーガ」、とりわけ本作には、いかなる象徴性も存在しない。先の対談で阿部自身が述べている通り、神町は、その町名こそ尊大だが、これといって特徴のない地方自治体にすぎない。それゆえ「神」の文字も、せいぜい「神回」とか「神対応」以上の意味をはらむことはない。

 一定の連続性や同一性が担保されているとは言え、『シンセミア』と『ピストルズ』、そして本作『Orga(ni)sm』との間には、解離的とも言うべき断絶がある。初期に阿部が意識していたであろう中上健次の「紀州サーガ」が帯びていた「象徴性(被差別部落や天皇制といった)」は、ここには見事なまでに欠けている。そうした「読み」が不可能とまで断ずるつもりはないが、おおむね空転する解釈の袋小路に陥るほかはないだろう。

 ならば本作は、阿部がはじめて手掛けたミステリ風味のエンターテインメントということになるのだろうか。だとすれば、本作は一種のパスティーシュという形式の実験とみなされるべきなのだろうか。そうではない。そんな陳腐なことを今更阿部がたくらむはずもない。

 そもそも本作は、発端の時点で通常のミステリとは決定的に異なっている。どういうことか。本作の中核にあるのは、菖蒲家に伝わる一子相伝の秘術「アヤメメソッド」だ。これは他者に幻覚を見せてその行動をコントロールするという、きわめて強力な人心操作術だ。そればかりではない。ラリーが経験したように、このメソッドはひとたび発動すると、現実と見分けがつかない幻覚で当事者の記憶すらも捏造できてしまう。加えて、術にかけられた人間は、他の人間に対してもアヤメメソッドの影響を及ぼしうるのだから、ほとんど無敵である。

 少し考えればわかることだが、こうした技術が存在する世界では、ミステリは成立しなくなる。本書の後半にはいくつかのどんでん返しがあるのだが、実はそこにもこの幻術が関わってくる。発端となる事実や証言、あるいは人物の同一性までもが、こうした幻術で撹乱可能となるならば、およそ論理的な推理は成立しなくなるだろう。まして、首都機能移転に際して神町が選定される経緯や、ラストで明らかになるアメリカと日本の関係の劇的な変化など、重大な変化の陰にはつねにアヤメメソッドの存在が示唆されている。こうした、ほとんど限界を持たない魔法の介在は、ミステリ的な結構を破壊するには十分すぎるほどだ。「なんでもあり」を可能にするアヤメメソッドは、ミステリにおける「禁じ手」にほかならない。これは実質的に、フィクションにおいて「夢オチ」がタブーであるのと同じことだ。

 誤解なきように言い添えておく。私は本作がミステリとして失敗している、と主張したいわけではない。そうではなくて、本作をミステリとして読むことはミスリードにつながると主張したいのである。物語の世界観を決定づけているのは、「アヤメメソッド」の存在だ。瞬時に人を洗脳してしまうような手法は、催眠以外にはありえない。その証拠に、「壊れたひと」になった菖蒲家監視チームの元チーフであるアレックス・ゴードンは、“There's no place like home”という言葉を聴くことで一時的に正気にかえる。これはまさしく彼を廃人同然にした催眠を解除するためのパスワードなのだ。

 私はかねがね阿部の小説が「解離」状態のモチーフと親和性が高いことを指摘してきた。解離とは精神医学的には、全生活史健忘(いわゆる「記憶喪失」)や、解離性同一性障害(いわゆる「多重人格」)をもたらす心的メカニズムである。催眠は人工的に解離状態を作り出すための技術にほかならず、その意味で本作の背景には、解離を無限に増殖させることで世界を支配しようとする一族の物語が存在する。そればかりか、本作に至って阿部は、物語の外部にまで「解離」を導入しようと試みている。どういうことだろうか。以下に説明しよう。

 

 フィクションの不自然さ

 本作の舞台である東根市神町の雰囲気を知るべく、Google Earthによって若木山(おなぎやま)麓を訪れてみた。確かに阿部本人が言う通り、それほど特徴に富んだ町ではない。若木山も想像以上に小さな山であり、およそ神秘性とは縁遠い印象がある。山麓には赤いトタン屋根の若木神社があり、本作でオバマ大統領が迷い込んでしまう防空壕の跡も存在する。割とどうでもいい話をすれば、私も阿部と同じく東北出身者で、私が生まれ育った岩手県北上市和賀町には、若木山とほぼ同じ高さの山城跡(岩崎城址)がある。特徴のない僻地の自治体という点では似たりよったりだが、新幹線が停まる北上市よりも山形空港を擁する神町のほうが首都機能移転先としてはいくぶん有利なはず……なわけもない。この移転計画がいかに荒唐無稽で根拠に乏しいものであるかを考慮するなら、その陰で暗躍したであろうアヤメメソッドの人心操作がいかに強力であるかがうかがい知れる。

 阿部自身、そもそも自らの地元である神町そのものの固有性には関心がない。デビュー二作目の『ABC戦争』から神町を舞台にしてきた阿部は、しかし故郷である土地の風土や土着性といった「身体性」には無頓着だ。ただ地名を記号化し、その記号がもたらすイメージを利用して物語を作る。ただしそれは、神町の「神」の文字に象徴性を見出すといった話ではない。もとは「新町」だったものを「火事が続いて縁起が悪いので変えましょうということで、『神町』になったという腰砕けのようなエピソード」(前掲対談)しかないのだから。

文學界 10月号

2019年10月号 / 9月6日発売
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単行本
オーガ(ニ)ズム
阿部和重

定価:2,640円(税込)発売日:2019年09月26日

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