作家としてのキャリアは純文学をスタートに、やがてバイオレンスロマンの分野の旗手として一世を風靡した勝目梓さん。80歳を超えてもなお質の高い作品を次々に発表し、無類の読書家でもある伝説の作家から、川越宗一さんの『熱源』へ熱い手紙が届いた――。
小説にはまだ十分に力が備わっている!
(前略)
お送りいただいた川越宗一氏の『熱源』、早速に読みました。ほとんど一気読みでした。
まず何よりも感服したのは、帝政ロシア末期の政治犯流刑囚のブロニスワフ・ピウスツキの、おそらくは広く知られてはいないのかもしれない事績を基にして、これほど壮大な主題を包み込む切実な物語世界を提示している作者の逞しい構想力と硬質で沈着な文章力です。しかも語られている主題は、トランプ大統領の登場後には一段とあらわになった今日的な問題の根底に横たわるものであり、その根底に直接的に光を当てることができるのは物語りだけであって、小説にはまだ十分にその力が備わっているということを、改めて強く思わせられた作でもありました。
ぼく自身はこれまで、アイヌ民族について特に関心を抱いたこともなく過ごしてきました。蔑視や差別が行われてきたことは承知していても、同化策は当然なのだろうと考えて、所与のこととして文明の側に立っていたわけです。つまり、のほほんとしていたわけです。しかし、ブロニスワフは流刑囚として極寒のサハリンに閉じこめられて絶望の日を送る身です。その彼が適者生存という環境の原理を疑いたくなるようなギリアークのチュウルカたちと出会い、その知恵と勇気と力に満ちた暮らしぶりに触れて、人が生きるということの根源的な熱に心を動かされた、その感動の程はどれくらいのものだったか、見当は容易にはつかないけれども、想像も及ばないけれども、否応なしに納得させられるものがあります。
それまでは縁もゆかりもなかった祖国喪失者のポーランド人とギリアークの男がたまたま出会ったのですから、初めはたがいに警戒心も猜疑心もあったはずです。にもかかわらずブロニスワフがチュウルカに惹きつけられ、チュウルカがそれを受け入れたのは、おそらく一個の人と人との間にそれとなく通い合う原初的な感情がはたらいたからではないでしょうか。それも、警戒心や猜疑心などとないまぜになった、細々とした危うい感情だったことでしょう。