- 2019.12.02
- インタビュー・対談
〈佐々木譲 新人賞受賞40周年インタビュー〉書くことは、変わり続けること
「オール讀物」編集部
オール讀物新人賞『鉄騎兵、跳んだ』から40年の日々
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
「引き出しが少ない」という危機感
それから、ポツポツ入ってくる依頼を受け、書く毎日が始まりました。新人賞受賞時、私はホンダの販売促進部に勤めていたものの、ホンダでは希望した広告のコピーが書けなかったので、単行本を出した翌年3月にホンダを辞め、コピーを書ける別の広告代理店に転職していました。
しばらくは兼業で書いていたのですが、「ナンバー」や「プレジデント」のルポの仕事も引き受けているうちに、だんだん広告代理店の仕事との両立がきつくなってきた。ある時、自分の月給と、小説やルポの依頼を全部受けた場合の原稿料を比べてみたら、原稿料が上回ったんです。それで食べていける目算が立って、3年間勤めた代理店を辞め、筆一本になりました。34歳の時のことでした。
──専業作家になり、生き残っていくために考えたことは何かありますか。
デビュー作でモトクロスを題材にしたでしょう。その頃、片岡義男さんのバイク小説が大流行していました。私も、ホンダに勤める若者がバイク小説でデビューしたというので、当初はバイクが出てくる青春小説ばかり求められました。この状況は早く脱しなきゃいけない。プロとして、違う題材でも書けることをアピールしなきゃならない。しかしそれには自分の引き出しが非常に少ないという自覚がありました。
80年代、冒険小説の書き手が次々にデビューし、活躍していました。船戸与一さん、西木正明さんは、早稲田の探検部出身です。海外経験が豊富で、書く冒険小説もスケールが大きい。私は冒険小説が大好きでしたが、彼らに比べて自分の海外経験が貧しすぎるとも感じていました。
たまたま85年、バイクに乗っていて交通事故にあったんです。ひどい怪我ではなかったけれど、頸椎捻挫が治らず、1年半のリハビリ生活を送りました。全面的に相手側の過失でしたから、それなりの額の休業補償が出たのです。
そこで、リハビリが終わった87年、このお金でニューヨークへ行こうと決めました。1年間のアメリカ滞在は、非常にいい経験になりました。異文化の中で1年、語学学校に通い、英語を勉強しているうちに、ふと、『ベルリン飛行指令』(88年)を、今の自分なら書けると思ったんです。
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