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<川上未映子ロング・インタビュー>「生む/生まない、そして生まれることへの問い」

<川上未映子ロング・インタビュー>「生む/生まない、そして生まれることへの問い」

聞き手:鴻巣 友季子

出典 : #文學界
ジャンル : #小説

『夏物語』(川上未映子 著)

小説のイデア

鴻巣 他人の痛みということに関しては『ヘヴン』で壮絶に書き尽くされました。『あこがれ』も、シンパシーをめぐる小説だと私は思いました。そこで、『夏物語』が小説として優れていると思うのは、アンビバレンスをそのまま保っているところ。遊佐みたいな「AID万々歳。男なんか要らないんだ。女の意思だけで産んでいい」という人もいれば、反対側の極には「AIDもとんでもないし、そもそも産むな」という、善百合子のような人もいる。その間で、夏子は常に揺れ動く。 

 今、世界が大混乱していますよね。アメリカでトランプ政権が誕生して、イギリスがブレグジットを選んで、ディストピアのような独裁政権が今さら誕生して。そんな中で、世界的に政治的メッセージ性の強い小説が多くなってきた。ナオミ・オルダーマンのフェミニズムSF『パワー』とか、最近だと韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』とか。言いたいことが明確だしぶれないし、作品構造もシンプル。小説というのは、メッセージを運ぶものじゃないと私は思っていたけれど、近年、あまりにもひどいことが世界中で起きるから、文学の使命として、繊細な方法で、多義性を抱えながら、重層的な作りで伝える、などと言っていられない部分はあると思います。

 でも川上さんが書いてきたものは、『ヘヴン』もいじめを肯定しはしないけれど、長い問答によって、いじめがなぜいけないのかということを根掘り葉掘り多義的に掘り出す。『夏物語』も立場や見解を大きくたがえる、星座のように散らばった人たちが、あらゆる価値観からあらゆることを言う。最後に何が良いという結論は出ない。川上さんには、シンプルなメッセージ小説を書くことへの抵抗はありますか。

川上 メッセージとフィクションとの距離は常に考えています。小説は自由だから、メッセージしかないような小説も、メッセージ性をまったく持たない小説も、基本的にどんなものでもいい。いいというのは、誰かが好きに書いたものが誰かに好きなように読まれるだけのことだという意味です。これまで、文体もテーマも違うものを書いてきましたが、ここを鍛える、と私自身が設定するもの以外の重要な部分、つまり物語がこっちに近づいて来るんです。

 たぶんその物語のイデアみたいなのがいて、私をしばきあげるんですよ。今私が書き出したこの小説は、このように書かれたがっている、みたいな感じかな。だからひたすら労働を続けます。書くことは言葉を選ぶことだから、なぜこの場面は観覧車なのか、なぜこの時に部屋のこの部分を見つめるのかとか、最低限、書き手が把握しておかなければならないことは多いですが、でもそれとは別に、全体として「お前はこれをこのように完成させよ」みたいな指令のようなものがあるんです。

 仕事場に行くと、いつも誰かが待ってる感じがします。恐れているのは、私の技術不足のせいでその作品の身体を――リズムや可動域やバイオリズムを損なってしまうこと。これが本当に怖いです。うまくいく時も、いかない時もあって、そういう運動体の中にある。でもおかしな言い方ですが、できるだろう、絶対にこれは書けるというのは分かっているというか。

鴻巣 でも、ある程度できると思うような物語じゃないと、書き出さないですよね?

川上 そうかもしれません。今気づいたけど、そういえば書きかけにしている作品がないですね。

鴻巣 毎回、イデアに忠実に書けるってすごい。大江健三郎さんが「自分は原文なしでやる翻訳家だ」と言っていたことがあります。原文に代わるのは要するに作品のイデアみたいな、設計図みたいなもの、それに従っているという感覚だと。それはすごく翻訳者に似ている。私もこう成るべく書かされている、自分はほとんど何もしてない、みたいな境地に陥ることがあります。

川上 『夏物語』もそんな感じだったのかもしれません。香盤表のように設定も描写も細かに組むけど、でももちろん小説はそれだけじゃない。出てくるものはすべて引き受けて、私がちゃんと形にするから見ててくれ、みたいな感じでした。これは誰に言ってるんだろうな(笑)。とにかく夏子という人間が体と心を持って生きてきて、人が人を見ていくという過程をしっかり書くことができれば、意味のある物語になるのではないかと思っていました。

単行本
夏物語
川上未映子

定価:1,980円(税込)発売日:2019年07月11日

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