新しい家族って?
鴻巣 たとえば逢沢には、これから夏子との間に生まれてきた子どもに対して何になるのかという問題があると思うんです。彼はライフパートナーでもないし、結婚するわけでもないし、セックスもしていない。ほとんど純粋な精子提供者。だから、AIDとほぼ変わらないとも言えませんか。
川上 うん、AIDよりは関係が変化していくポテンシャルはあるけれど。
鴻巣 逢沢は父親というポジションにはなれるのでしょうか?
川上 どうでしょう。生物学的には父親ですから、子どもに会えば何かを見るでしょうね。自分がいなければそこにあり得なかった因果を見るから。
鴻巣 子どものほうが逢沢をどう見るのか、という問題ですね。
川上 夏子は何を選択したことになり、逢沢は何に関係したことになるのか。善百合子も含めて、これまでなかった関係になってゆく可能性がありますね。
鴻巣 『夏物語』がはらんでいる、まだ解けない、答えが出ないもの、疑問や謎を、逢沢が引き受けている。夏子は迷いもまだあると思いますが、「新しい人」に出会ったという一つの達成がある。ただ百合子は、すべてを背負って逢沢と別れて、生きることを否定することにのみ生きる、という人生を続けていかざるを得ない。自分という牢獄にはまった最たる状態だと思う。だから、彼女がこの後どうなっていくんだろうなって思わず考えてしまう。
川上 善百合子のことはわたしもずっと考えています。夏子も逢沢に好意を抱きますが、善百合子と会ってから、夏子はほとんど彼女のことしか考えていません。小説の中で夏子が抱く、いちばん強い気持ちのひとつは善百合子を「べつのしかたで抱きしめたかった」というものですよね。ある種の百合のように種子ではなく球根で増えつづけることのできる世界というか、そういう祈りのようなものを、善百合子からは感じます。
鴻巣 百合子は夏子の願望の一部、オルタナティヴでもあるのかもしれませんね。
川上 でも、男性のあり方を考えた時に、『夏物語』では逢沢だって、育ての父親だって、家父長制的な祖母や、祖母と共依存的関係にある母――女性たちに存在させられ、声を奪われてきた。第一部に出てきた九ちゃんも、本をくれた客も、夏子の父親も社会構造によって弾かれた行き場のない人たちだった。どんな家族も、人生も、もちろん傾向は強くありますが、やはり重要なところはジェンダーロールでは収まらないし、紋切り型では切られないですね。(了)