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『コードネームは保留』寺地はるな――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #歴史・時代小説

別冊文藝春秋 電子版29号(2020年1月号)

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版29号(2020年1月号)

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版29号」(文藝春秋 編)

 藤野音楽堂は駅前の商店街の端にある楽器店だ。店の奥に事務所が、二階に貸スタジオと児童向けの音楽教室があり、わたしはおもにこの事務所で一日を過ごす。

『経理事務 若干名』という求人を出していたこの会社の面接を受けたのは三年前のことだ。アットホームな雰囲気の、と書いてあるところからして、やばさがびしびし伝わってきた。でも失業給付をもらえる日数もそろそろ残り少なくなっていたし、とにかく再就職先を決めなければならない局面に来ていた。

 社長と副社長(社長の妻)による面接の際に「音楽は好き?」と訊かれて「いえべつに」と正直に返事をしてしまったので不採用になるだろうと思っていたが、あっさり採用されてしまった。たぶん、ほかに面接を受けに来た人間がいなかったのだろう。

 件の「だんだんたのしくなってくる」という曲の作詞・作曲をしたのは社長らしい。かつては作曲家を目指していたのだが夢破れて実家のミシン販売会社を継ぎ、ミシンのついでに楽器を扱いはじめて、そのまたついでに社名を「株式会社藤野」から「株式会社藤野音楽堂」に変更して、現在に至る。今では近隣の幼稚園や小学校に納入する鍵盤ハーモニカやリコーダーが、会社の収入の九割を占めている。

 そういった経緯については専務(社長の息子)が教えてくれた。息子といってももう五十代だ。会社の女性従業員をうちの女の子たちと呼ぶし、「嫁の貰い手」などの死語を連発する。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版29号(2020年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2019年12月20日

プレゼント
  • 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編

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