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『コードネームは保留』寺地はるな――立ち読み

『コードネームは保留』寺地はるな――立ち読み

寺地 はるな

電子版29号

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #歴史・時代小説

「別冊文藝春秋 電子版29号」(文藝春秋 編)

「女の子たち」に自分が含まれていないことは、べつだん悲しいことだとは思っていない。仲間外れにされているわけではない。仕事上のやりとりは問題なくできているし、挨拶とか、今日は寒い(or暑い)ですね、程度の会話はしている。それでじゅうぶんだ。

 山本さんはおもに小学校をまわる営業を担当している男性で、如才ないというか、にこにこしながら他人の毒気を抜くことに長けているというか、クレームへの対応がじつにうまい。

 以前、「買ったオカリナが吹けども吹けども音が鳴らない」といって店にどなりこんできた客を、たまたまそこに居合わせた山本さんが応対したことがあった。

 クレームを言う人はクレームを言う行為そのものが目的みたいなところがある。店の奥の事務所までオカリナがいかに鳴らないかということについての罵声や奇声が聞こえてきた時「こりゃあ長引くな」と思った。わたしはクレーマーの第一声でだいたいの滞在時間がわかる。

 しかしオカリナ鳴らないおじさんは五分もたたないうちに静かになり、わたしが様子を見にドアから顔を出した時にはもういなくなっていた。

 こっそり覗いていたら「女の子たち」のひとりが、山本さんに何度も頭を下げていた。どんな手を使ったんですかとあとで訊いたら、山本さんは「普通に話してただけだよー」とへらっと笑っただけだった。

 そんな山本さんはしかし、来月末に退職する予定になっている。今は社会全体が貧しくなっていてのんきに楽器をたのしむ人間なんかいない、子どもの数だって減っているんだから音楽教室にも生徒が集まらない、つまり藤野音楽堂には未来がない、というのが口癖だった。去年ぐらいからこっそり転職活動を続けていたというからじつに抜け目がない。

 

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版29号(2020年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2019年12月20日

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