視点人物は、生命保険会社営業教育部で後進の育成にあたっている四十過ぎの男性。彼には同じ年の妻がいて、〈子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきた〉という自覚がある。その妻が末期がんで入院しているため、会社に事情を話し、午前中のみの時短勤務にしてもらって看病をしている夫の目と心を通し、闘病にともなうありきたりで古い物語から、固有の生と固有の死を救い出す新しい物語になっているのだ。
〈「来たよ」
カーテンから覗いて、片手を挙げる。
「来たか」
笑って片手を挙げる〉
毎日の看病の中で、本当はもっと世話をしてやりたい。洗顔だって〈きちんと洗えていないように見えるので、やってあげたくなる。だが、自分でできることは自分でやりたいはずだ。ぐっと我慢する〉。妻の性分を理解している夫は、決して自分本位に動いたりはしない。〈爪も切ってあげたい〉と思っていて、前からビジネスバッグの中に道具を入れてあるのだけれど、〈しかし、「爪を切ってあげようか」のひと言がなかなか難しい。甘い響きが出てしまったら気恥ずかしいし……〉で、言い出せない。読んでいて切なくなるほどの気配りの人である夫は、だから、病気にまつわるありがちゆえに無神経な言葉や対応に違和感を覚えもする。
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