人間を分けるのにいろんな分け方があるが、私はまず「ふつうの人」「病気の人」に分ける分け方が、一番手っとり早いと思っている。その際の「病気の人」というとき、つい先だってまでは「ふつうの人」だった。心ならずも病気をしょいこんで、とたんに病気の人になった。このふつうの人から病気の人に変貌する際に、その人の人柄がよく現われるという。
1.顔面蒼白となり、ワナワナとふるえる人。
2.おや、またか。そんな感じで、いたって冷静な人。
3.オロオロする人。
われらのショージクンは本書のタイトルからもわかる通り、オロオロ型である。しかし入院日記を読むと、冷静沈着型でもあるようだし、オロオロの前にワナワナがあったような気もする。さすが歴戦の漫画家であって、同じ病気の人でもいたって複雑なタイプにあたるのだろう。
病気の人はふつうの人がなったわけだから、根はふつうの人であって、以後も居住に区別はない。ふつうの人と共存できるが、病院といって、病気の人専門の宿舎がある。私は三日間入院して、出てきたばかりだから印象が鮮明だが、概して病院は建物も規模もバカでかい。いろんな検査をするので検査室がワンサとある。沢山の人を扱った方が効率がいいのだろう。それに病気の人は無限にいるので、収容数が途方もなく多い。病気の人で満室である。こんなことはありえないと思うほど多い。ことによると日本人ことごとくが病気の人ではないかと思いたくなる。いかに理不尽であれ、目の前の一切が現実だから、目の前のもの一切をくまなくながめておく。病院内にも町の中心の四つ辻と似たところがあって、そこを通って検査室なり自分の病棟へ行く。「病院は不本意でいっぱい」の章にくわしく語ってあるが、誰もが「ガラガラ引っぱって」いる。正式名は「イルリガートル台」というそうだが、体調不良なところへもって、そんな難しい名前を覚える気がわかない。「ガラガラ」ですましている。
朝起きたときにすでにそばに付いていて、点滴の袋とか、酸素ボンベとか、いろんな計器のようなものがのせてあって、いずれもひもでつながっており、自分で引っぱって歩く。センターの四つ辻には、ガラガラがひきも切らず通っていく。何度となく、こんなことはありえないとつぶやくのだが、ありえた現実が圧倒的で、いかに無慈悲なものであれ、その日のうちになれてしまう。たまにガラガラを引っぱらない人がいると、ずるっこをしているように思ってしまう。
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