久しぶりに充実した本を読んだ。
岡部健先生のことは、以前から聞き知ってはいた。この本にも登場する、東北大学の鈴木岩弓先生や、宮城県の金田諦應師などの口から聞いたのだと思う。
岡部先生が命名したという「臨床宗教師」のことも、あちこちから耳に入ってきていた。私はようやくそんな時代が来たのかと喜んではいたが、そこに岡部先生のどんな人生がどのように関与しているのか、詳しくは知らなかったのである。この本をまとめてくださった奥野修司氏に、まずは心から感謝したい。
岡部先生自身が胃がんになり、余命十ヶ月を告げられた事実から、第一章は始まる。この本が、いわば岡部医師の遺言であることが告げられるのである。
前半では、いや、全編にわたってだろうか、岡部先生自身が痛感している現在の医療の問題点、制度への疑問なども忌憚なく語られる。検診の意味と無意味、また特に抗がん剤という毒の扱いについては、一章を割いて力説されている。今や三人に一人ががん死するこの国では、殆んどの人にとって切実な話だろう。
問題の多い医療現場での経験から、岡部氏は「治せないがん患者の専門医になろう」と決意し、ついに県立がんセンターの医長を辞め、自宅で死を迎えるための「在宅医」に転じる。社会的な立場や収入のことを考えれば、蛮勇とも言える決断である。しかし岡部氏の堅い意志と迸(ほとばし)る情熱は、借家から始まった岡部医院の在宅緩和ケア活動をどんどん拡大していくのである。
宮城県内でのがん死者六二四〇人(二〇〇九年)のうち在宅死は六六〇人(一〇・五七%)だが、このうち約四割に当たる三〇〇人余りを岡部医院だけで看取ってきたというのだから、驚異的である。岡部氏の医療哲学が、まさに燎原(りょうげん)の火のように仙台界隈に広がったと言えるだろう。
岡部氏の医療哲学とは、端的に言えば、「在宅での死の看取りから生まれるタナトロジー(死生学)の形成」である。
ここ数十年の医療の変化、たとえばCT、MRIなどの登場は、敵を明確にして病との闘いを有利にすることには役立っても、最終的に向かうべき人の「死」に対しては何の指針も示してくれない。たとえホスピスであっても、そこには「死の不安」に対するケアプランがない。特にエヴィデンスばかり尊重する日本の医療においては、死を自然現象として捉える見方さえ失われ、最期の一定期間は「持続鎮静」というごまかしをせざるを得ないのが現状なのである。
そういえば以前、うちの檀家さんの死亡診断書の死因欄に、「自然死」と書いてあって驚いたのだが、なるほどその担当医師は岡部先生の一味であったかと、今になって思い返された。要するに、人はがんであっても手術や抗がん剤や点滴のせいではなく、がんそのものの進行によって「自然死」することができる。そのためのケアを今も最大限に試みているのが岡部医院なのである。
人が安らかに自然死するために、あるいはトータルペインの制御のためにも、「お迎え現象」が非常に重要な鍵になる。そう気づいたのも、岡部医師が見送った膨大な数のがん患者のお陰だろう。大勢の末期患者を見送るうちに、いわゆる「お迎え」が来ると穏やかに亡くなる人が多いことに、岡部氏は気づいた。社会学者の相澤出氏の調査でも、在宅で亡くなった人の四二・三%の家族が「そういうことがあった」と答えている。しかも不思議なことに、「お迎え現象」の起こった場所を訊くと、八七・一%が自宅、病院はわずかに五・二%だというのである。
このような現象は、医学的には「譫妄(せんもう)」などと処理され、これまでまともに扱われることは滅多になかった。しかし岡部氏は、これを死に近づく過程で起こる自然な生理現象と捉え、そこにこそ死という暗闇に進むための道標があるのではないかと考えた。なぜなら死そのものは見えなくとも、親しい人が「お迎え」に来て手引きし、案内してくれるのだからどんな闇でも心強いではないか。
そしてその非合理な手引きができるのは、宗教者しかいない。岡部医師のその確信こそが、現在東北大学で講座が続けられている「臨床宗教師」の発端だったのである。
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