――先輩、水でいいですよね。
――酒ないの?
――飲めないくせに。
私が下戸であることも、酒好きの彼女が冷蔵庫に缶チューハイを常備していることも、私たちはお互いに知っていた。短く無意味な会話のあと春花は黙り、シンクの上の棚からコップを出してミネラルウォーターを注いだ。
――あれは飲まないの? そう言って私は窓を指さした。明るくなった部屋のなかで窓は暗く、それでも街灯の円弧は、うっすらとではあるが変わらずに見えた。二重窓の隙間に寝かされた、ラベルの剥がされたペットボトルには、透明な液体が半分ほど入っていた。北国では外の冷気を部屋に入れないために窓が二重になっているということを知ったのは、私がまだ本州の西の街に住んでいたころだ。でも冬にはその二枚の間にある空気が冷蔵庫内より冷たくなり、ものを冷やすのに重宝する、ということは、この街に引っ越してから覚えたことだった。
――あれは口つけてるんで。
ビーズカーテンの音をさせて春花は戻ってき、ローテーブルにコップを並べた。それから床に腰を下ろし、ベッドに寄りかかって私を見上げた。
――いいかげん座ったら?
――ん、そうだね。私はそう言ってようやくリュックを降ろし、春花の隣に座った。そうすると正面のやや高い位置にテレビが見えた。きっと彼女はいつもここでDVDか何かを観ながら、窓の隙間で冷やした水を口つけて飲んでいるのだろう、とわかった。床に敷かれたラグが二人の体重ですこし前にずれ、ゆるい襞が浮いた。柑橘の匂いがさっきより強く香った。私は春花の方を見ないまま、揶揄するように言った。
――っていうかミネラルウォーター、買ってるんだ。
――水道水はカルキが臭くて。先輩は飲めるひと?
――実家がそうだったからね。
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