1.光の状況
招き入れられたむこうで窓が光っていた。四階の部屋は市街を格子状に切り分ける道路のひとつに面していて、低いところで輝く街灯の光がここまで届いているのだった。長方形の窓の下辺に白い光の円弧がぼやけていた。二重窓の隙間に置かれた大きなペットボトルと、窓にもたれて座るぬいぐるみのシルエットがその光を黒く遮っていた。室内の照明は落とされて、床の隅で、私たちの部屋でつかっているものと同じ電源タップのスイッチがオレンジ色に光っていた。
衣擦れだけが聞こえた。白い背中がうす闇のなかでぼやけて揺れていた。彼女はワイシャツを着ている、とふと思い出した。中央で影が立ち止まった。こちらを振り向き短く息をついた。私も無意識のうちに詰めていた息をほどいた。柑橘があかるく香った。部屋干し用の洗剤ともう七週間も替えていないシーツの匂いの充満した私たちの部屋とは違う匂いだった。それが彼女の――春花の匂いなのだと私の鼻が憶える。
部屋の暗さに目が慣れはじめ、判然としなかった物の輪郭がゆっくりと定まっていった。本のぎっしり詰まった本棚が、そのうちの一段におさめられたちいさなテレビが、壁際に置かれたタオルラックが、部屋の底に静かに横たわるベッドが、天井からぶら下がる電灯が視界のなかで像をむすんだ。白いシャツが手を挙げ、息を吸った。
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