特集

日本蒙昧前史

文: 磯﨑 憲一郎

文學界3月号

「文學界 3月号」(文藝春秋 編)

『葉隠入門』の作者の自決から一年半後には、大阪万博の開会式に出席していたノーベル文学賞作家も、神奈川県逗子市のマンション四階の自室で、ガス管を咥えて絶命しているのが発見された、同じ年の少し前には、その日は月曜日で平日であったにも拘わらず、犯人逮捕時のテレビ局各局の生中継が合計で八十九.七パーセントという異常な高視聴率まで記録してしまった連合赤軍浅間山荘事件があり、アジアで初めての冬季オリンピックも札幌で開催されているのだが、それらの事件や出来事以上に、当時の人々に、咄嗟に安易な反応を返すことを躊躇わせるような驚きと困惑を与えたのは、グアム島のジャングルの奥深くで、日本が戦争に負けたことも知らぬまま、二十八年間も洞窟の中に身を潜めて暮らしていた元日本兵が発見されたという、その年の初めに入ってきたニュースだった。現地の病院での診察を終え、ほどなく帰国するというその元日本兵に対して、とりあえずは長い間お疲れ様でしたと慰労するにしても、次に続けてかけるべき言葉とは何なのか? 何はともあれ五体満足で帰ってきて、祖国の土を踏めたことへの祝福であるべきなのか? それとも、体力的にも、精神面でも、人生でもっとも充実した生活を送ることができたはずの三十代、四十代を失い、どう足掻いてもその時間と経験は取り戻せないことへの憐れみ、同情であるべきなのか? もちろんそんな問いに対する答えなど誰も持ち合わせないまま、羽田空港に降り立った元日本兵は、厚生大臣と記者団、そして三千人もの人々に出迎えられ、けっきょく下世話な興味に晒されることになってしまった。もし子供がいたとしたら、その子供もとっくに成人して子を持つ親となっていたであろう二十八年もの長い年月、いったい何を食糧として生き延びたのか? 木の実や獣の肉、昆虫も食べたのか? 日本の敗戦を知らされていながら、その事実を認めようとしなかったのか? それともただ単に、戦争は今でも続いていると信じ込んでいただけなのか? グアム島上空を飛ぶジェット旅客機を見て、時代が変わったことに気がつかなかったのか? 望郷の念や人恋しさ、ときには性欲だって覚えることもあったのではないか? 勲章か、多額の年金でも貰えるのだろうか? 何しろ、三十年以上もの兵役を勤め上げたのだから……こうした、答える必要のない質問にまで、元日本兵は律儀に、正直に答えてしまった、車椅子の座席に埋もれてしまいそうな小さな身体からは、長い潜伏生活の艱難辛苦(かんなんしんく)が偲ばれた、恐らくそうした人柄や容姿も手伝ってのことだろう、彼は新聞やテレビで名前を見ない日はない有名人となり、記者会見で発言したとされる、「恥ずかしながら帰って参りました」という、国家への忠誠心よりもむしろ人の良さ、田舎者らしい朴訥(ぼくとつ)さを感じさせる一言が、その年の流行語になってしまった。

文學界 3月号

2020年3月号 / 2月7日発売
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