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実験としての批評──村上春樹、中上健次、柄谷行人 <講演 「近代文学の終り」再考>

実験としての批評──村上春樹、中上健次、柄谷行人 <講演 「近代文学の終り」再考>

文:ジョ・ヨンイル

文學界3月号

出典 : #文學界

「文學界 3月号」(文藝春秋 編)

 その意味で残念な点がひとつあります。曺国(チョグク)前法務部長官が韓国の文学者に日本に対して竹槍を掲げるよう勧めたとき、彼らはそれを支持したのですが、(※2)せめて日本文学が不買運動(No Japan運動)の対象となることくらいは防ぐべきでした。(※3)現在のぎすぎすした関係は、両国の政治家たちが作り出したものであるので、それに巻き込まれて民間次元の交流を邪魔すべきではなかった。もちろん雰囲気上そのようなことを口にするのが難しかったのでしょうが。

 余談はここまでにします。今日話すことはそのことではないからです。もちろんまったく無関係というわけではありませんが……。時間的にさほど前のことではないのに、はるか昔のことのように思えるのはままあることですが、それは現在に集中しすぎるあまり今の土台となっているものを忘れるせいではないでしょうか。その意味で今から、これまで忘れていた、しかしとても意味のある過去のことを振り返ってみようかと思います。

 

 一五年程前、つまりゼロ年代中盤のことから始めましょう。当時韓国では「近代文学の終り」(二〇〇三)(※4)をめぐって文壇全体が大騒ぎになりました。その[反響の]大きさがどれくらいだったかというと、当時書かれた評論の大部分が「近代文学は終ったと柄谷行人は言っているが……」で始まっていたくらいでした。崔元植(チェウォンシク)という著名な評論家などは、或る文学賞の審査評で「もちろん柄谷行人の韓国の現代文学に対する診断から話を始めているのは陳腐だが……」と述べました。

文學界 3月号

2020年3月号 / 2月7日発売
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