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実験としての批評──村上春樹、中上健次、柄谷行人 <講演 「近代文学の終り」再考>

実験としての批評──村上春樹、中上健次、柄谷行人 <講演 「近代文学の終り」再考>

文:ジョ・ヨンイル

文學界3月号

出典 : #文學界

「文學界 3月号」(文藝春秋 編)

 韓国の文学者や研究者が「近代文学の終り」に大きな衝撃を受けて、それに抵抗したのがその証拠です。実のところ「近代文学の終り」は『日本近代文学の起源』とまったく異なる主張をしているというよりは、むしろその延長線上にあります。しかしそれを理解できなかったせいで、彼らは柄谷行人がある日突然文学を捨てたと思い、それゆえ裏切られたと感じたのではないでしょうか。ともかく「近代文学の終り」に対する韓国の文学者や研究者のヒステリックな反発は、明らかに「近代文学的」でした。

 私が『柄谷行人と韓国文学』(二〇〇八)(※6)を書いたのは、このような雰囲気においてだったのですが、当時私は次のように述べたことがあります。これ以降「近代文学の終り」に関して論じようとする人は、必ず韓国の反応を研究する必要があると。本質というものは、多くの場合強い抵抗を通してはっきりとあらわれるからです。

(本稿は二〇一九年十二月一日にたんぽぽ舎で行われた「長池講義」の講演草稿である。)


注釈

(※1)BTSの人気をドゥルーズ思想と接ぎ木したドゥルーズ研究者[イ・ジヨン著『BTS 芸術革命:防弾少年団とドゥルーズが会う』、パレシア、2018、未邦訳]もおり、ハイデガーの芸術存在論を借りて彼らの歌の革新性を称賛した文学研究者[申亨澈(シンヒョンチョル)]もいました。

(※2)黄晳暎(ファンソギョン)、孔枝泳(コンジョン)、金衍洙(キムヨンス)、李起昊(イギホ)、権汝宣(クォンヨソン)など約一三〇〇名の文学者は一〇月七日に「二〇一九作家宣言」を出したのですが、その内容は当時法務部長官だった曺国を支持するものでした。そもそも文学者たちが集団で一介の政治家への支持を宣言するのもおかしいのですが、その対象が長官指名時から収賄、私文書偽造、偽証などの疑惑により社会的に物議を醸していた人物だったのでなおさらでした。紆余曲折の末に聴聞会が開かれはしましたが、国会で聴聞会報告書は採択されませんでした。結局、大統領が任命権を発揮してゴリ押しで長官にはなりましたが、作家宣言がなされてから一週間後に辞職する羽目になります(一〇月一四日)。その後さらに「職権乱用」などの容疑に関わっていることが明るみにでましたが、彼を支持する文学者たちは相変わらず多いようです。ちなみに同宣言に署名した文学者名簿は公開されていません。

(※3)今回の日韓関係の悪化で大きな損害を受けたところのひとつは、日本の小説の出版を準備していた出版社です。印税まで支払ったのに発行を遅らさざるをえない出版社もあり、日本の小説を陳列しないという貼り紙を出した書店もありました。

(※4)二〇〇三年に近畿大学で行なわれた同講演は、翌年『早稲田文学』(二〇〇四年五月号)に掲載されるとすぐに韓国語に翻訳されました(『文学トンネ』、二〇〇四年冬号)。面白いのはこれを掲載した文芸誌の編集委員(批評家)たちが、別途に文章を書いて内容には同意しないという意見を表明したという点です。

(※5)黄鎬徳(ファンホドク)「外部からの撃発」、『尚虚学報』、第二五号、二〇一二年、七四―七五頁。

(※6)邦訳は二〇一九年にインスクリプトより出ています。

 

この続きは、「文學界」3月号に全文掲載されています。

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