相手が満足な答えができないと見ると、彼女は彼を手のひとふりで追い払い、潤沢な食事を進めた。
食器のふれ合う、かすかな音のむらの合間で、志手は、女が赤い光沢のある粒を褐色の指にすくいとって、口にはこぶのを見た。
そのたべ方は、ぜいたくなほど不作法だった。
彼女の圧倒的な白い歯の下では、果実の小さな粒が蒸気の破片のようなこまかい音を立てて次々に破裂し、いっときのかがやきが、いちどきに滅びてゆくのだった。
夫がしばらく起きてこないように、と志手は心ひそかに念じながら、女の口元に見とれ、そして、闇のなかの炎のようにちらつく舌の先が、志手にとって見おぼえのある異国のすがたを、眼前に沈んでいる茫洋とした水墨画の上に、はげしい筆致で描きだすのを見守った。
はるかむかしのように思えるが、ほんの五年ほど前、彼女が父とおとずれたアジアの一国を。父娘が昼どきに起床して、宿の外に出ると、広大な畑が無数の縞を成してひろがり、その合間を、極彩色の服をまとった人びとが、籠に入れたさまざまの穀物を頭にのせて運搬していた様子――目には見えないほどの強い光で、空は白く、息を切らせていた。
いま、彼女がかりそめに身を置いている、この朽ちかけた灰色の街の上に、あの情景を強引に重ねて描いたならば、その彩色は、何もかも塗りつぶしてしまうにちがいない。
外国人の女はざくろをたべ終えて席を立ったが、その彫りのふかい異国的な横顔は、さらに志手のこころをかき立てた。あの国へふたたび行きたい、と彼女は思った。
彼女の居住地――晴天が多い神戸――などとも比較にならない、鮮やかな、身体を焼きつくすような光の舞う、あの国を。あの国をおおう伝統的な欺瞞、躊躇なくかがやかしい悪行を犯す人びとに直接ふれることなく、いまなお精密に立ちあがる感銘を、彼女はなつかしんだ。
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