昨年、気仙沼市図書館で〈仙河海サーガ〉読書会が連続で持たれた。参加者は時間が過ぎても会場に残り、作品に登場する景色をめぐって「ここはあそこよ」と「これはきっとあの通りね」と震災前の町並みを思い起こしながら会話を弾ませたと聞く。
あるいは気仙沼でのある酒席で著者の教え子のひとりと同席、彼は「熊谷先生の仙河海物語、みんな買ったんだけど、読めないんです。ちょっと読んだだけで、いまはもうなくなってしまった町の風景が記憶によみがえって、胸がいっぱいになって、読み進められないんです」と洩らした。彼のいう「熊谷先生」は小説家を指しての「先生」ではない。自らの中学生時代の担任教師としての「先生」である。
本作を含めて、〈仙河海サーガ〉は気仙沼の人たちにとってそんな物語なのだ。
そして、被災地を、三陸を未知の読者には、あの日、津波と火災に蹂躙(じゅうりん)された三陸の港町に、どんな歴史が、暮らしがあったのか、著者はそれを物語ってやまない。手に取れば、そこに三陸の海と町と人の叙事詩がある。
著者はいまのところ前記八作で〈仙河海サーガ〉の筆を止めている。だが、シリーズ作中に「あの日」の〈仙河海=気仙沼〉はいまだ描かれていない。著者は東日本大震災を仙台で経験している。「あの日」の気仙沼を離れながら作中に描き残すのは、いかに著者としても困難ではあるだろう。だが、書かれなければならない。まずはなんといっても教え子たちが、そして気仙沼の読者たちが、待っている。「あの日」の物語への胎動はすでにはじまっている。私もまた、待っている。
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