丸かじりシリーズはどのページから読んでも面白いのだが、今回のこの『焼き鳥の丸かじり』の中で僕がいちばん唸らされたのが、「病院食はいま」だ。
東海林さんのエッセイはたくさん読んでいるはずなのに、肝細胞ガンで「あれも食いたい~」を休載されていたことは知らなかった。
幸い、手術は成功し、大事ではなさそうではあるし、昔と違っていまどきは、ガンだからといって深刻な病とはかぎらない、が。
やっぱりガンはガンだ。
それなのに東海林さんは、ガンのことにはほとんど触れず、治療に関する直接的な描写もせず、ひたすら病院食について書き綴っているのだ。
病気のことは他のところで語ったり、書いたりされているのかもしれないが、それにしても、
凄い。
病気のことには触れていないのに、凄まじい闘病記になっている。
醤油民族、日本人なら誰もが我が身に置き換えるだろう、病院食に足りない塩分──醤油への渇望と執着の描写は、鬼気迫る。
病院のキビシイ監視を逃れて出現した、市販の納豆パックのタレに狂喜する。
空(から)になった容器のネバ付きのタレにまでゴハンを投入し、もう思い残すことはない、と述懐したそばから、さらにタレに茶色く染まったネギを発見して、その一片をしみじみと噛みしめる。
笑いを超えて涙したくなる。
人生とはなんだ?
人間とはなんだ?
そのすべてが納豆パックのタレひとつで表現されている。
傑作だ!
ここまで書いていて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、この拙文は、毎度、句点で改行しています。
もちろん東海林さんの独特の文体というかルールを真似したものだが、これって、かなり難易度が高いのだ。
雑誌にエッセイを書く場合、まして連載枠が決まっているものは、文字の数に制限がある。
あれもこれも書こうとすると、エッセイ慣れしていない僕なんぞは、あっと言う間に規定の文字数をオーバーしてしまう。だから、書きたかったエピソードやフレーズを泣く泣く削ったりする。それでもだめなら、改行する場所を減らしていくしかない。(ほら、このとおり)。
僕のイメージでは、東海林さんは、毎回、無造作にさらりと一行目を書きはじめて、おもむろに「うむ」と唸って筆を置くと、ぴたりと行数どおりに話が終わっているような気がする。あたかも寿司の名匠が手さぐりひとつでまったく同じグラム数の酢飯を握ってしまうように。ただの推測です。違っていたら、ごめんなさい。
改行のキビシサはそれだけじゃない。改行をせずにだらだら書いていれば埋没させてしまえる凡庸なフレーズが丸裸になるから、めったな文章は書けないのだ。
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