あとになって聞いた話だが、このとき三國さんは、私のことを「ずいぶん変わった人だ」と思っていたらしい。
別れ際に勇気を振り絞って、ノートにサインを書いてもらった。三國さんはさらさらと名前を書き、その横に大きく「夢」と添えた。一期一会のつもりだった。でも、それから、私は折に触れ、三國夫妻と会うようになった。三國さんが八十代になり、病に倒れてからも、だ。
本文に綴ったように、三國さんとはたくさん話をした。当初は書籍にするつもりはなかったので、取材という意味ではだいぶ遅れてしまったという思いがある。助けてくれたのは、歳月にほかならない。
私は、三國連太郎という「役者」に徹底的に魅せられていた。その生き様を尊敬していた。プライベートでは、父親のような存在だった。三國さんからは、「あなたは家族のようなもの」と言ってもらっていた。
命や死について、よく話した。それらはまったくタブーではなかった。三國さんは、むしろ好んでそういう話をした。話しながら、笑うこともあった。
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