書評

父から子に記憶を語り継ぐということ――佐藤優が村上春樹『猫を棄てる』を読む

文: 佐藤 優

父と子:猫を棄てる物語と放蕩息子のたとえ

村上父子の関係に見る「放蕩息子のたとえ」の構造

佐藤優氏

 村上春樹氏は、父によって棄てられた経験はない。〈僕にはそういう体験はない。僕はごく当たり前の家庭の一人っ子として、比較的大事に育てられた。〉ただし、自らの意志で父から離れていった。〈とくに僕が職業作家になってからは、いろいろとややこしいことが持ち上がり、関係はより屈折したものになり、最後には絶縁に近い状態となった。20年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態が続いた。〉しかし、息子は再び父のもとに帰る。〈父とようやく顔を合わせて話をしたのは、彼が亡くなる少し前のことだった。そのとき僕は60歳近くになって、父は90歳を迎えていた。彼は京都の西陣にある病院に入っていた。重い糖尿病を患い、身体の各部に癌が転移し、どちらかといえばでっぷりした体格の人だったのだけれど、ほとんど見る影もなく痩せこけ、まるで別人のように見えた。そこで父と僕は――彼の人生の最期の、ほんの短い期間ではあったけれど――ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった。考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。父の痩せた姿を前にして、そのことを否応なく感じさせられた。〉

 ここでは、新約聖書「ルカによる福音書」に記された「放蕩息子のたとえ」が構造的に反復している。イエスが語ったのは、こんな物語だ。〈ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、『お父さん、私に財産の分け前をください』と言った。それで、父親は二人に身代を分けてやった。何日もたたないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ち、そこで身を持ち崩して財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住む裕福な人のところへ身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところには、あんなに大勢の雇い人がいて、有り余るほどのパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』そこで、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕(しもべ)たちに言った。『急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。〉(聖書協会共同訳聖書「ルカによる福音書」15章11 ~24節)

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