「別冊文藝春秋 電子版31号」(文藝春秋 編)

 当たり前のことを説明しても、彼女は首を振るばかりだった。単純な理屈も通じない。彼女はそこまで歪んでいた。歪められていた。肉体だけでなく精神まで。

「あるわけないよ、そんな場所。世界はみんな汚れてる。綺麗なのはここだけ。他は薄汚れて、ドロドロして、嘘吐きの悪魔たちが人間に化けてる地獄――」

「そんなことない」

 わたしは静かに、きっぱりと否定した。

 ここ以外は危険だ。ここはマシな方だ。だからここを出たらお前は生きていけない――馬鹿げた言い草だ。ただのまやかしだ。愚かな人間が弱い人間を囲い、支配し、操るための脅し文句だ。上手く使えば強力な呪文にもなるけれど。事実、茜はずっと縛り付けられているけれど。

「ここが地獄だよ。気付いてるよね。だから茜ちゃんは手紙をくれたんでしょ」

 茜の目から涙が零れ落ちた。

「大丈夫だよ。わたしが守るから」

「…………」

「わたしだけじゃない。みんなで茜のことを守る」

 無意識に呼び捨てにしていた。結果的にそれが効いたのだろう。頼れる、信じられると判断してくれたのだろう。

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