本当なら文庫のこの部分には、ちゃんとした人が書いた「解説」が載るものなのは、読者のみなさんもご存知のとおり。本書は地方商店街のまちづくりをテーマにした小説なので、そういった事情に精通した、その道の権威的な方に解説を依頼することも一瞬考えたのですが、やめました。これはそんな、気取った本ではないので。
じゃあどんな本かと言えば、これはわたしにとって、贖罪の書に他ならないわけです。
二〇一二年に地方都市に生きる女の子たちを描いた『ここは退屈迎えに来て』でデビューしたあと、いろんな反響をもらいました。生まれ育った富山の街をモデルにしつつ、均質化したロードサイドカルチャーを描くうえであえて地名を伏せたこの連作小説集は、題名のとおり、地元に退屈している若い女の子たちの物語です。
実際わたしは高校卒業と同時に街を出て以来富山には戻らず、結局は東京に居心地のよさを感じているわけなので、小説に書いた思いに嘘はない。けれど――よく誤解されるのですが――富山が嫌いというわけでもない。“田舎”や“故郷”といった言葉が想起させるウエットな感傷とは違う、“地元”という言葉がいちばんしっくりくる平凡な街への、苛立ちと愛着。そんな自己矛盾に長年てこずったものの、小説という形にできたことでけりがつき、郷土愛(地元愛?)にいまや疑いの余地はない。ともすると、地方都市と女性というトピックにおけるご意見番のような立場で見られるようになったことで、「地元、このままでいいのだろうか?」という問題意識は、むくむくと大きくなっていったのです。
二〇一三年の夏に雑誌「CREA」から小説連載の依頼をもらったのは、ちょうどそんなタイミングでした。
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