別冊文藝春秋

『シェルター』甲斐さやか――立ち読み

文: 甲斐 さやか

電子版32号

「別冊文藝春秋 電子版32号」(文藝春秋 編)

「……そのほかは、自分の部屋で過ごすんでしょうか?」

「どちらでも。本棚の本を片っ端から読む人もいれば、庭いじりに精を出す人もいますよ。入所者同士の交流も多少なら良いです。ただ、しつこいようですが、素性を話すのは厳禁です。ルールを破ったら、強制退所もあり得ます」

 佐和子は説教される子供の様に、ただ頷くだけだった。ガイドの向かうところ敵なしの態度に圧倒されて、納得したふりをするしかなかった。この種の機械的な人間に対する免疫もない。佐和子に怒っているのだろうか。人生の落伍者たちに、軽蔑さえ抱いているのではないか。

「職安は、火曜日と木曜日に相談員が来ます。しっかり面談してください」

 ガイドはノートパソコンを覗き込んだ。

「十三番は……来週、弁護士さんからの面会希望があるので外出が許可されています。私が付き添います」

 庭の対面に、カウンセリング室と書かれた部屋が見えた。

 カウンセリングが済んだ人たちなのか、四人の痩せた女が壁に沿って並んでいた。女たちは医務服の女から紙コップを受け取って、何かを飲まされている。


 ガイドに促されて、一人で施設内を歩いてみることになった。改めて、カーブを描く壁に沿って広間を歩く。やはり広い。四十畳はあるだろうか。広間の右手に、先ほど入って来たドアが見える。

 医務服の女は、もういなかった。簡易机に紙コップだけが残されていた。

 カウンセリング室の隣に医務室があり、さらに職業安定相談室も見えた。これがガイドの言う職安のことか。

 幾人もの女とすれ違うが、誰一人として目を合わせてこなかった。彼女たちは肌の変色を隠すような大きなマスクをしていたり、松葉杖をついていたりした。ミイラのようにからだ中を包帯で巻いて、ゆっくりと歩く人までいる。全員が白い服にすっぴんなので、入院病棟の患者のようでもある。しかし、怯えたような独特の目の伏せ方、微妙に目を陰らせるその仕草から、人為的トラウマの背景が透けて見えた。

 やはりここは、不幸な女のためのシェルターなのだ。女たちの受けた暴行の印を感じて、佐和子は妙に安堵した。

 広間を横切ると、手前の部屋から数人のお喋りが聞こえてきた。覗くと、まばゆい陽光が差し込んでいる。裏庭にでも面しているのかもしれない。

 中心にいる太った女が、笑いながらこちらを見た気がした。会釈してみたが、無反応だ。

 再びガイドがやってきた。

「ここがテレビと本棚のある談話室。ソファで寛げます。漫画や雑誌もあるわよ。食堂は見ました?」

「いえ、まだです」

「先ほどの事務室の裏手になります。この談話室から先は、上下階とも入所者専用エリアです。十三番の部屋は二階になります」

「はい」

 談話室の先に階段があった。上ると直ぐに長廊下があり、左右に白いドアが並んでいる。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版32号(2020年7月号)文藝春秋・編

発売日:2020年06月19日


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