体験会での衝撃を引きずったまま、今度は同年四月に福岡県飯塚市で開催された「ジャパンオープン」を取材した。ジャパンオープンはアジア開催の中では最高グレードの国際大会で、国枝慎吾選手をはじめとして世界の強豪が集結する。
観戦した試合はどれも凄まじいとしか言いようがなかった。車いすを走らせる選手たちはツバメのように速い。車いすはサイドステップができないが、それでも彼らの動きは氷の上を滑るように自由自在だ。思わぬコースを突かれて急反転する時、ギャッとタイヤが激しくコートを摩擦する音が響く。選手たちの目はいずれも鋭い。勝つのは自分だという気迫がこっちにまで伝わって鳥肌がおさまらない。試合を見ている間、目の前で走るその人たちが例外なく障がいをもっていることを、私は完全に忘れていた。
車いすテニスには「普通のテニスができない障がい者のための競技」というイメージがあるかもしれない。でもコートで躍動する選手たちは障がい者というより、車いすに乗ったアスリートだ。「障がい」というイメージばかりがことさら取り上げられがちだけれど、彼らはただ、ありのままの彼らの肉体でテニスに情熱を注いでいる。
そして彼らを支えるのが車いすエンジニアでもある。会場の一角にはリペアテントがあり、車いすメーカーのエンジニアが常駐して、選手が万全のコンディションで戦えるように車いすのケアを行っている。テントで車いすを挟んで笑い合うエンジニアとプレイヤーの姿を見た時、私は書こうとする物語の輪郭が見えた気がした。主人公は二人にしよう。車いすテニスプレイヤーと、プレイヤーの活躍を支える車いすエンジニア。分かちがたい二人の物語を書こう。
ジャパンオープンの閉幕後、帰りの飛行機の中でこれから書く物語のタイトルを考えた。スター、という言葉が降ってきた。コートで戦うプレイヤーも、彼らの車いすをケアするエンジニアも、私にはそんなふうにキラキラと輝く存在に見えた。
そして『パラ・スター』が生まれた。
あべ・あきこ 岩手県出身、在住。二〇〇八年「いつまでも」(刊行時『屋上ボーイズ』に改題)で第十七回ロマン大賞を受賞し、デビュー。二〇年二月から三月にかけて、車いすテニスをエンジニア、プレイヤーそれぞれの視点から描いた『パラ・スター〈Side百花〉』、『パラ・スター〈Side宝良〉』を連続刊行し、話題に。