極端に口数が少なく、愛嬌も愛想もない。いつも思い詰めた表情をしていた。それ以外の表情が思い出せない。敗れたときも、勝利してさえ、感情を顔に乗せることなく、口を一文字に結んだままリングから降りていった。
畠山昌人。本作品に、もう一人の主人公・畠山雅斗として登場するボクサーの、現役時代で思い出すのは何かに耐えるような顔つきと捨て身の覚悟ばかりである。
華麗とは対極の泥臭いファイターだった。愚直に前進し、魂ごと投げ打つように拳を振るう。煌めくようなハイセンスの持ち主ではなかった。だが闘争心、不屈、勇敢、覚悟、忍耐、心の強さに関する素質は群を抜いていた。どんな危機的局面でもこのボクサーが心を折ることはあり得ないと思わせたし、リングで自分を使い果たすことに何の怖れもなく、むしろすべてを使い果たせないことを怖れているようにも見えた。とにかく彼は戦っている間だけはおそろしく雄弁だった。
北海道にあるジムから生まれた、初めての日本チャンピオンである。サッカー選手の夢破れ、熱くなれる何かを求めてボクシングジムにたどりついた高校一年生に、基本であるジャブから教え、日本の頂点に立たせたのが赤坂ひかること赤坂裕美子トレーナーだ。日本チャンピオンを育てた、初めての女性トレーナーでもある。北海道のジム出身の日本チャンピオンも、日本チャンピオンを作った女性トレーナーも、彼ら以降、出ていない。
この二人の軌跡が小説になった。
ボクシングジム会長の父が脳梗塞に倒れ、ひかるは、その不在を預かる管理人としてOLを辞めジムに入る。家業を守るという責任感も崇高な志もなく、「朝早く起きなくていい」というお気楽な理由で転職を決めた彼女が、ボクサーたちのひたむきさや熱に突き動かされ、やがて自ら戦いに身を投じていく。
彼らが主戦場にしていた東京の後楽園ホールでの試合はほぼ観戦していた。ボクシング誌の取材で幾度か札幌のジムにも話を聞きに行った。多少は彼らのことを知っているつもりでいた。が、あくまで小説であるが、事実がベースになっているこの二人の物語に、実のところわかっていないことばかりだったのではないかと、思い知らされた気がしている。本作は二人の凄まじいやせ我慢の記録でもある。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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