寡黙な畠山の、時に代弁者、外界との橋渡しのような役割をも担当していた赤坂トレーナーは、いつのときも平然としていた。ことボクシングに関しては客観的で、感情的になることは一度もなかったし、どこか飄々としていて、よくぼそりと面白いことを言っては、ふふふと自分で笑った。あけすけな話をするかと思えば、彼女を褒めるようなことを言いかけるとすっと話を変えてしまう、かなりの照れ屋でもあり、こちらに気を遣わせないよう細かな気配りをする繊細さも持ち合わせている。いろいろな顔を見せる彼女は、だが弱さの類いだけは一切、微塵もみせなかった。いくら水を向けても、あるはずの苦労や不安を決して明かさなかった。
だから畠山の試合の直前、彼女がどういう極限状態にあったか、そのくだりを読んだとき、衝撃で先を読み進めなくなった。
……何度も後楽園ホールのトイレで吐きながら、やってやるよ! と、吐き捨てた。吐く苦しさで涙を流しながら、やってやる! いつでもやってやるよ! と吼えるように唸った……。
トレーナーがボクサーに授けるのは技術や的確な判断、指示だけではない。絶対的な信頼関係、安心感。それらを何よりトレーナーに求めるボクサーは少なくない。彼らはトレーナーに命をも預ける。相手にダメージを与えることが目的のボクシングでは、決して大袈裟ではない。
だからひかるは常に自問自答する。自分は教え子たちの情熱と努力に応えられているのか。正しい方向に導いていけているのか。あいつらの人生と命を守れるのか。
年若く、ボクサーとしての経験もなく、トレーナーとしての経験もまだ浅い。彼女がただならぬ重圧を抱えているだろうとは思っていた。だが彼女が対峙し格闘していた心許なさも恐怖も孤独も、想像をはるかに超えていた。
畠山昌人、網膜剝離により引退、の一報を聞いたのは、世界挑戦が決まりそうだという噂を聞いたその矢先だった。なぜ畠山か、なぜ今なのか。あの時の衝撃は今も覚えている。やり場のない怒りと憤りで立ちくらみがした。
現役時代、寡黙を貫いた畠山が、後年、引退を決断するまでの葛藤について語ってくれたことがある。
いいか、甘えるなよ。悲劇のヒーロー面するんじゃねぇぞ。病床で一月のあいだ、そう自分に投げ続けたと彼は言った。
「無理矢理自分とボクシングを引き離すしかなかった。自分、ボクシングに命賭けてましたから」
「リングで死んでもいい、くらいの“気持ち”じゃないですよ。俺は本気で死んでもいいと思ってた。俺はボクシングで燃え尽きたかったんですよ。だから練習で死んだっていいと思ってた」
リングで死ねるなら本望だと、勝利への執念と本気をそう表現するボクサーはいる。だが練習の段階で死んでもいい、と言ったのは後にも先にも畠山だけだ。お金だとかタイトルを獲るとか賞賛を得たいとか、そういう野心や夢よりも、自分がどこまでやれるのか、自分の本気と覚悟がどれほどのものなのか、戦う相手を自分自身に定め、その敵でもあり味方でもある自分に挑戦し続けた。その状態を渇望し続けた。畠山にとって、ボクサーであることは生きることと同義だった。
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