信長の特徴として、恐ろしく行動的なことがあげられる。
永禄十二年(一五六九)、京にいる足利義昭が敵に囲まれたことがある。おりからの大雪だったが一報が入るや否や、信長はすぐに出陣。三日の道を二日で踏破して救援に駆けつけた。他にも天正三年には美濃国岩村城救援のため、京から不眠で約百三十六キロメートル離れた岐阜城へ戻ったり、天正九年には竹生島参詣の海陸往復約百二十キロメートルを一日でこなしている。
だが、天正八年の約四ヶ月半の間、信長は安土にじっと留まっていたのだ。
これは奇妙ではないか。この空白期に信長に何があったのか。
それ以外にも想像を刺激される“空白”が、『信長公記』にはいくつもある。本能寺の変の直前、明智光秀による愛宕山での籤引もそうだろう。籤を引いた記述はあるが、その内容や理由は空白である。いわば「本能寺の変の空白」ともいうべきもので、そこに想像を膨らませる余地がある。
あるいは、「合戦の空白」もある。今回、『信長公記』を再読してみて、信長が天正四年(一五七六)六月以降、合戦らしい合戦をしていないことがわかった。戦場には出ているが、視察のような仕事しかしていない。桶狭間の合戦のような太刀を打ち合わせることや長篠合戦のように采配の妙を見せることがなくなった。だけでなく、合戦とは関係ない遊芸にうつつを抜かしている(それも戦場で)。好戦的な信長に、なぜこのような「合戦の空白」が存在することになったのか。
天正八年の空白期の直前にあった、軍団長の佐久間信盛の解任もそうだ。この不可解な事件も「人事の空白」といっていいだろう。
今回は、そんな「信長公記の空白」の数々を読者の皆様に楽しんでもらえればと思っている。
空白を読むことで、読者が知らなかった信長という人間のパーソナリティが浮かび上がってくるはずだ
(「はじめに」より)
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