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「給付金」も「出社制限」も「ソーシャル・ディスタンス」もすでにあった! 今こそ歴史の知恵が必要だ

「給付金」も「出社制限」も「ソーシャル・ディスタンス」もすでにあった! 今こそ歴史の知恵が必要だ

磯田 道史

『感染症の日本史』(磯田 道史)

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

『感染症の日本史』(磯田 道史)

 しかも、感染症をおこす細菌やウイルスが根絶されるケースはむしろ稀です。過去に人類を襲ってきた細菌や、類似のウイルスが、くりかえし同じように襲ってきます。過去と同類のものが、また反復的に襲ってくるのですから、それへの対処には必然的に歴史が必要になります。感染経路、感染条件、衛生状態などの違いはあっても、以前に襲ってきたときの様子を知っておくと、似たことがまた起きる場合もあって、感染症を生き延びるうえで、役に立つからです。

 また、感染のなかに放り込まれたときの、本能的な人間心理は、時代が変わっても、変わらない面があります。病気にともなう「差別」や「恐怖心」については、いつまでたっても、人間は同じようなところがあります。我々は、病気について成功体験だけでなく、失敗体験もたくさんもっています。ひどい差別をしてしまったり、誤った療法にこだわってしまったりです。その反対に、見事に成功してワクチンを開発して、ウイルス側をやりこめたこともあります。その歴史的経験の蓄積を知れば、病気に対して「よりよく生きる」ことができるかもしれません。

 そのような歴史書を後世に遺したいと思い、私は、本書に取り組みました。今回の新型コロナウイルスでは、二〇二〇年九月現在、日本では、抗ウイルス剤が一種類、対症療法の薬剤が一種類、承認されているだけです。ワクチンも特効薬も開発されていない状況です。未知の感染症のパンデミックに、十全な薬剤や療法なしに襲われている点では、ある意味、近代以前にも似た未知の状況に置かれています。

 この場合、歴史を振り返ることも有効ではないでしょうか。歴史には人類の失敗もあり、対応の不備もあります。歴史で、前の車の転覆を知って、その失敗を避けることも必要です。また、過去をみれば、現代でも通用する知恵が出てくるかもしれません。加えて、現代には、かつてないほど発達した科学があります。しかし、科学が発達していればこそ、それが生み出す産物=ワクチンの安全性・副作用の問題などもおきてきます。

 感染症、とりわけ、その世界的流行であるパンデミックの対策には、「総合的な知性」が必要になります。あらゆる問題を引き起こし、世界すべてを巻き込む社会現象になるからです。医学やウイルス学・細菌学などの自然科学だけでなく、政策学や経済学、社会学、心理学や歴史学を含んだ総合的な発想です。感染症について考えようとすると、医療分野はもちろん、経済、公的機関の役割、リーダーシップ、個人と社会の関係、働き方、家族のあり方、衛生に対する考え方、日常の過ごし方、心のケア、文化など、あらゆる分野のあり方が問われます。

 こういった「総合的な知性」からの発想が要る問題には、長く、幅広く、時間軸で物事を捉える歴史学が最も威力を発揮します。

 本書には、有史以前から、百年前のスペイン・インフルエンザ(俗にいうスペイン風邪)のパンデミックまで、さまざまな感染症の史実をちりばめました。私も、読者の皆様も、コロナなどの感染症とともに生きなくてはならなくなりました。そんな時代に、この本が、何かの参考になればと思います。


(「はじめに」より)

文春新書
感染症の日本史
磯田道史

定価:880円(税込)発売日:2020年09月18日

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