以前、人生の役に立たないノンフィクションばかり掲載する『季刊レポ』という雑誌を編集・発行していたことがある。役に立たないから一般の雑誌には載りにくいんだけど、そういうもののなかに面白い原稿があるはずだと思って、自分でやることにしたのだ。
新保さんが編集部に現れたのは創刊して半年後くらいだっただろうか。ライターとして参加したいという。僕はちょっと驚いた。新保さんといえば、西原理恵子さんやゲッツ板谷さんを担当し、彼らの著作にもしばしば登場する凄腕編集者のイメージが強かったからだ。著作があることは知っていたが、軸足は編集にあるものとばかり思っていた。
しかし、新保さんの熱意は本物だった。企画書のようなメモを手に、何か書かせろと迫ってくる。とにかく何かやってもらおう。僕は新保さんから渡された名刺をじっくり眺めてこう言った。
「新保さんの名前、信長は本名ですか」
「そうです。大仰な名前をつけられて、重荷に感じたことがあります」
「わかりました。『我が名は武将』という連載はどうでしょうか」
信長が秀吉や家康に会いに行き、武将名をつけられた男の人生を語り合う企画だ。
「わかりました。やってみましょう」
二つ返事でOKを出す新保さんを見て、そうとうイカレてるなと思ったが黙っていた。
が、『我が名は武将』には弱点があった。武将名を持ち、さらに信長との対談に応じても良いと思ってくれる人はめったにいないのだ。趣旨がわからない。それはそうだ。趣旨はないのである。秀吉、光秀、信長、家康、べつの家康、政宗と6回続いたところで、これ以上は無理となって連載終了となった。
ところが新保さんは懲りない。しばらくするとまたやってきて、やりたい企画があるという。
「字が下手で、長年のコンプレックスなのです。なんとかしたいのです」
冗談かと思ったら目が真剣だ。タイトルは『乱筆乱文にて失礼いたします。』。何か妙な迫力を感じ、「いい企画ですね」と答えた。でも、どれくらい下手なのか、それが問題だ。僕だって下手である。通常の下手さでは連載にはならんよ。
「そう言われると思って書いてきました。これが私の字です」
差し出された紙になんと書かれていたかはまったく覚えていない。僕はその字の持つリアリティに圧倒されていたのだ。
自分の字に自信が持てない人はけっこういると思うが、多くの人はそこを経験でカバーして、それなりに読めるという方向に仕上げていく。上手くはないけど読みやすい、味がある、可愛らしい、などだ。
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