
さて。大人になるとは、いったいどういうことでしょうか。
それは、ヴィクトール・フランクルの言葉をかりるなら、人生にたいして、不断に意味を与えつづける人間になることです。
いい言葉ですよね。しかし、もうすこし考えてみましょう。ここでいわれている「意味」とは、いったいなんでしょうか。
そうですね。これは、公共的なかたちで定義することができません。ひとによって、異なるからです。
そういうわけで、この小説の語り手たちは、それぞれのやりかたで、「大人」になろうとします。自己を見つめ、物語を語り、人生を解釈します。
この、個人的営みの終局のような行為が、世界と繫がるとき。かれらの行い、考え、希望が、賢い塵をつうじて空にひろがるとき。
そこに、黎明と黄昏のように回帰する、たしかな人間の存在があらわれることでしょう。
この作品をみなさんに読んでいただけることを、楽しみにしています。
追伸――編集部のみなさんから、「もうすこし作品への補助線があったほうが良いんじゃないかしら?」というアドバイスをいただきました。たしかに小説を読み返してみると、そのほうがいいみたい。そこで、ちょっと誌面をお借りして、この世界で起きた、おもなできごとの年表を記します。もしよかったら、読んでみてください。