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渡さない交換日記

渡さない交換日記

文:浜田 真理子 (音楽家)

『森へ行きましょう』(川上 弘美)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『森へ行きましょう』(川上 弘美)

 そして「そのかわり!」と川上さん。「ハマダさんの『森へ行きましょう』っていうタイトル、わたしの小説に使ってもいい?」お芝居ならここで暗転だろう。心底びっくりした。

 タイトルには著作権はないそうだ。だから、そもそも断りを入れていただくことはないのだけど、それはそれでとても親切で光栄なことだった。帯のコメントを書くことと交換条件にして、わたしの心を軽くしてくれたのかなと思ったりもしたけれど、そのあとは幸福感に酔っ払ってしまってあんまり記憶がない。

 

「森へ行きましょう」の主人公は留津とルツという1966年生まれの二人の女性だ。同じ日にこの二人が誕生するところから物語は時系列に進んでゆく。そこには初恋や、受験、人間関係、仕事、誰もが経験する日常のさまざまが描かれる。原因と結果、判断と選択の中で、人生という森の奥深くへ迷い迷って進んでゆく。地下鉄サリン事件や、東日本大震災など、社会的な事件も織り込まれて、同時代に生きるわたしは自分の来し方行く末を二人に重ねずにはいられない。

 

 46歳のルツはつぶやく。

「『いつかは通る道』は、若い頃は二本くらいしか種類がないと思っていた。でも、全然そうではなかった。道は、何本にも分かれてつながっており、右を選ぶか左を選ぶか、まんなかを選ぶか端を選ぶかは、常に不確定で、選んでしまった後になってからしか、自分のたどっている道筋はわからない」

 自伝エッセイで自分の人生をたどっているとき同じことを思った。その時は自分の森のことしか考えてはいなかったけれど、この物語を読めばその森は誰にでもあるのだとわかって急に世界が複雑に思えてくる。道と道、枝と枝がからみあって、あなたの森とわたしの森、そして、今日の森や昨日の森があるのだ。明日や明後日の森も。縦に横に斜めに、なんと混沌として、なんとおもしろいことだろう。勝手にインスパイアされてわたしはのちに「昨日の森」という歌を書いた。それはまるで互いに小説や歌を書きながら相手に渡さない交換日記のようでもある。

 

 この「森へ行きましょう」をわたしは三度読んだ。一度目は新聞で、二度目は単行本出版時、そして、今。三度目はメモを取ってゆっくり読んだ。そうして気づいたことがある。この小説には緻密な設計図がある。そして小さな仕掛けがあちこちにちりばめられている。ルツと留津、パラレルワールドに住む別人同士にも互いの森の枝が伸びている。樹形図は先へ行くほど枝が増えていく。ああ、この小説の構造も森なのだ。ヘンゼルとグレーテルみたいにその仕掛けを一つずつ拾いながら、さああなたも森へ行きましょう。

 2020年秋

文春文庫
森へ行きましょう
川上弘美

定価:1,045円(税込)発売日:2020年12月08日

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