実はわたし、台本を読み通すことすらもあやしいくらい、活字に苦手意識があります。けれどこの作品は別です。タイトルはすこしシリアスな印象ですが、実際にはコミカルでユーモアたっぷりで、陰な面も陽な面も備わった、不器用で愛すべき人達が立体的に描かれています。舞台となる川越という街の雰囲気が好きでしょっちゅう散策をしていたわたし自身の体験も相まって、登場人物たちの隣に生きているような気分で、ワーッと一気呵成(いっきかせい)に読み通しました。こんなことははじめてです。
樋口作品との出会いは「探偵佐平」(2018年NHKで放送された「スペシャルコント 志村けん in 探偵佐平60歳」/原作『木野塚探偵事務所だ』創元推理文庫)で佐平役の志村けんさんの助手・桃世を演じさせていただいたことでした。桃世はボスである佐平に対していつも冷静なツッコミを繰り出していましたが、この本のヒロインである玲菜はいつの間にかバディを組むことになっていた小説家志望の周東青年に、心の中で常にツッコミを入れ続けています。口に出すのか心の中にとどめるのかという差がそのまま桃世と玲菜というふたりの性格の差のように感じられつつ、この共通したツッコミの的確さが、樋口節ともいえるような全体のテンポの良さをうんでいるのではないかなとニラんでいます。なんだかんだいって良いコンビ感、なんだかんだいって良いグルーヴ感が知らない間に生まれていて、読んでいる側も知らず知らずのうちにその心地よさに巻き込まれているのです。
もちろんコミカルなだけでなく、「行間から心情を推し量るっていうのはこういうことか!」とはじめての感覚に震えたデリケートな表現も印象に残っています。ずっと母親とふたり、〈あの人〉から逃げ続け、戸籍もないまま学校にも通わず息をひそめて生きてきた十四歳の玲菜。ついに今回〈あの人〉に見つかったから自分はしばらく身を隠す、と母親から連絡がきて、一方的に電話が切れてしまいます。玲菜はここで、「考えても仕方ないことは、考えても仕方ない」と金平糖を二粒、ぽいと口に入れます。玲菜は一体どんな気持ちで金平糖を口に入れたのだろうと想像すると、わたしはこの場面を何度読んでもいたたまれなくなるのです。
じぶんでもうっかり泣いてしまいそうな時に、泣きたさをごまかして感情を抑えるために違う動作をすることがあります。すごい勢いでなにかを飲み干したり、食べ物を口いっぱいに押し込めてみたり。そうやって関係ないことをして抑えなければならないほどの絶望やさみしさを玲菜は感じていたのでしょう。金平糖ひとつでこんな感情を引き出してしまう妙文!
玲菜のもうひとりの味方となる秋吉秋吉(あきよししゅうきち)さん(そもそもこんな名前アリですか!?)の描かれ方も秀逸です。川越屋というリサイクルショップを営む秋吉(しゅうきち)さんと孫である周東青年がはじめて一緒に登場する場面。店の大事な商品・信楽焼きの高価な狸が盗まれたことを得意気に説明する周東青年を秋吉さんは一喝します。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。