「とにかくこれからは店も二階も三階も、戸締りには気をつけやがれ」
キツイ言い方なのに愛情しか感じない。粋で情深い秋吉さんの人間味がこの言い回しにすべて表れているなと感じて、わたしはいっぺんに秋吉さんのことが好きになってしまいました。きっと玲菜もそうだったのではないでしょうか。もしも秋吉さんがこんなにサッパリしていなかったら、全体のトーンは全然違ったものになっていたでしょう。
以下、大いにネタバレを含むので、ぜひ先に作品を読んでいただけるとうれしいです。
ずっと母親だと思っていたひとは幼い玲菜を誘拐した親戚のおばさんだったことが明らかになったり、母親の本当の名前は麻希子ではなく礼子であると判ったり。そのあたりから息が詰まったままでしたが、秋吉さんの計らいで失踪した母親の捜査に協力してくれていた小池刑事が礼子さんを連れてきたところで、「ああ、もう時間がきてしまったのだ」とわかって、そこからはもう、泣いて泣いて涙が止まらなくなりました。玲菜が信じてきた人生というのは一体なんだったのだろうか、礼子さんのおこないはもちろん正しいことではないけれど、間違っていたと言えるだろうかと。玲菜にとってお母さんはお母さんだし、必ずしも正しいことが正義だとは限りません。
もしも玲菜とわたしに共通点があるとすれば、わたしは母と叔母に育てられたということ。叔母にはこどもがいませんでした。礼子さんの過去について、「三人もいるんだから麗奈(玲菜)を自分にくれ」としばしば口にしていたものの、周囲は冗談だと思っていたという事実が語られます。笑い話ではありますが、わたしの叔母もそういうことをよく言う人でした。彼女だってもしかしたら、何かのきっかけでわたしを連れ去るということがなかったとは言い切れません。
礼子さんは何も玲菜に意地悪がしたかったわけではなくて、ただ愛情だけがそうさせたのだと思うと、わたしには彼女を責めることができないのです。もちろん玲菜の実家の人々はじめ悲しかった人も辛かった人もいただろうけれど、おそらく人は、何かふとしたきっかけで細い細い一本の線を踏み越えてしまって、世の中的には犯罪者になってしまうということがあり得るのかもしれない。
同時に、玲菜に対してははじめのうち、「どうしてこの子はこんなに早く大人にならなきゃいけなかったんだろう」と胸が痛みました。周東さんはそれを「可愛げがない」と表現し、愛情をもってイジっています。わたしの目から見れば、可愛げのなさがいじらしくて逆に可愛いなとも思うのですが、もっと甘えていいし、もっとわがまま言っていいのにな、と気がかりでした。
けれど母親さえ失踪してしまい、ついにひとりぼっちになってしまったあと、周東さんと秋吉さんと一緒に過ごすうち、玲菜はちゃんと年相応のふるまいになってゆき、自分の希望にも素直に向き合うようになります。周東と出会ってからはサラッと「友達ができた」と認識していることがわかって、まずそこにほっとしました。
そして母親と自分にまつわる真実が明らかになった後、秋吉さんが玲菜にどうしたいかを尋ねるシーンは忘れがたい。
「わたしは、ここにいたいです」
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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