・1990年9月、東京本社経済部デスク時代、敏腕記者Oが持ち込んできたイトマン事件の特報を朝刊1面トップにしようとしたら、Oは編集局長から差し止めを食らうとぶっきらぼうに言い放つ。なるほど、日経の上層部は住友銀行に忖度するに違いない。そうならお蔵入りだ。結局、中面で問題債権の内訳の数字を淡々と並べただけの地味な扱いで通してしまった。当然のように他紙経済部は追いかけない。ほどなくOが担当から離れ、出世志向の別の記者がイトマン不良債権問題を矮小化する記事を打つ始末だった。他紙は経済というよりも社会的スキャンダルとして取材合戦を繰り広げた。
悔いだけが残る。イトマン特報の1面トップを嚆矢に、調査特別班を組んで、資産バブル崩壊が及ぼす日本経済への衝撃を深掘りし、先見性あるキャンペーンを張れたかも知れない。それこそが経済紙としての使命であるはずなのに、自主規制してチャンスを逃した。メディア組織内の忖度はジャーナリズム自体の堕落であり、その責は現場自身の弱さからも来るというメッセージが、本書の行間から乱射される。
取材は愛、この記者は絶対にブレない。現に、財務省幹部から森友文書の偽造作業に手を染めさせられたことを苦にして自ら命を絶った財務省近畿財務局の上席国有財産管理官の赤木俊夫さんの夫人の信頼を得て、俊夫さんが残した痛切な手記を世に明らかにした。
権力者は往々にして義の心を失うものである。本来、メディアは義を重んじ、権力を追及するべき存在のはずだ。しかし、現状はどうだろうか。危機感もなく、弛緩しきっている。文書改ざんなど、国際社会に対してあまりに恥ずかしい所業だ。赤木さんの命を犠牲にして、改ざんにかかわった財務省の関係者はみな出世した。日本人はいつからこれほど恥知らずになったのか。最後の砦である司法で裁くこともできない。日本の根幹が腐っている。日本国の国民として怒りを禁じえない。
愛があるなら義もあるぞ。不肖、さんざん失敗を重ねた経済記者は、相澤記者との出会いを機に、経済記事に「義」という視座をしっかりと据えることができた。あとはひたすら生涯一記者を貫くのみだ。
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