小学校二年か三年生の頃、わたしは鉄棒の逆上がりができなかった。毎日練習を重ねてもいっこうに上達しない娘を鼓舞したかったのだろう、父が鉄の棒一本と角材二本を買ってきて、庭に穴を掘り起こし、小さな鉄棒台をこしらえた。いま思えば、あれは三十半ばの父にとって、はじめてのDIYに違いなかった。得意げな父をがっかりさせてはいけない。校庭に居残って練習せずにすむようにしてやろうという親心もかたじけなかった。朝晩、懸命に逆上がりの自主練習に取りかかったが、なかなかコツがつかめない。それでも意地になって毎日鉄棒を握っていたら、あるとき突然くるり! 自分の身体が宙をまわった瞬間の途方もない達成感は、いまも誇らしさの残照として胸のなかにある。そういえば、あの鉄棒もいつのまにか消えてしまった。
母と話した翌日、介護施設に暮らす父の部屋を訪ねる足は重かった。考えに考えたすえの決断だったけれど、父が決して口にしてこなかった逡巡や愛着を知ってしまえば、なかなか切り出せない。とりとめもない四方山話を重ねたあと、精いっぱいのさりげなさを装い、思い切って話題を変える。母にとって過ごしやすい、あらたな住まいの必要が切羽詰まっていること。家と土地を売却してはどうだろうと考えていること。
ひとしきり黙って聞いていた父が、話を引き取った。
「そうか。言うとおり、そのほうがええかもしれんなあ。お母さんも、あの家にひとりじゃあなあ、そりゃあ住みにくいと思う」
一語ずつ、背中を丸めて部屋のベッドに腰掛け、軽くこぶしを握った手を膝に置いた父が自分に言い聞かせるように言う。でも、お父さんの希望があったら、何かほかの手を考えることだってできるんだよ。
「いやいや、それでいい。任せてしもうて申し訳ないなあ。よろしく頼みます」
わたしは「はい」と応えながら頭を下げ、涙は見せてはいけないと歯を食いしばった。
怒濤の日々の始まりだった。数日置きに電話やファクスやメールで送られてくる不動産業者の連絡、売値の交渉、銀行とのやりとり、売買契約、土地の測量、近隣への挨拶、家財道具の片づけや処分、母の引っ越し先の準備や手続き……長女の役目を果たすべきときだと腹を据えたものの、つぎからつぎに押し寄せてくる案件の波に溺れかけ、たびたび気持ちも折れかけた。それでも、転がりはじめた石はどうにか進んでいくものらしい。七、八ヶ月後、すべてに片がついたときの安堵は、そう、ついに鉄棒の逆上がりができたときの達成感にも似ていた。
ぶじに家を明け渡しました、万事終わったと報告するまで、父のほうからこの話題に触れてくることも、進捗状況を訊かれることも、一度もなかった。すべてが片づいたあと、ひと言だけ「そうか。終わったか。手間をかけてすまなかったなあ」。すこし震えていた細い声の語尾の寄る辺なさは、いまも私の耳の奥にある。
その父も三年前、九十二歳まで生きて亡くなった。母はいまもひとり暮らしを続けている。
ときどき実家の空き部屋のことを思い出す。板張りの床。壁に刺したままの画鋲。古ぼけた勉強机。スプリングの壊れた椅子。色褪せた青い布生地の壁紙。ガラス窓から見下ろした木蓮の木。なつかしいというのでもなく、恋しいというのでもない。かつて大切にしていた場所があった、その確かさを掌のなかの艶やかな丸い貴石として握りしめると、五十代を終えたいま、もう少しがんばれそうな気がしてくる。
文庫化にあたって、三人の方々とお仕事をともにすることができたのは望外の幸せだった。文春文庫の担当編集者、児玉藍さん。デザイン部の大久保明子さん。カバー画は、画家、平松麻さんによる。お三方の力を得て、あらたに『下着の捨てどき』と題した一冊が生まれることになった。心から御礼を申し上げます。
二〇二一年一月 著者