「水分を小まめに」の回も、東海林さんらしさが炸裂しています。
「熱中症の予防のために小まめに水分を取りましょう」という極めて一般的なフレーズに対し、お得意のネチネチとした持論が展開されることになります。「小まめに」という言葉に対し、「セカセカした感じがするし、コセコセした感じもあるし、小賢しい感じもする」と、嗅ぎ取った小物感をあらゆるオノマトペを駆使して書きあらわす東海林さん。さらに「小まめに水分を取れ」のあとには「ノドが渇く前に飲め」と続き、「ノドが渇いた、と自覚したときに飲んだのではもう遅い」と言われると、一層ネチネチ度が高まります。
こうなってくると大変なことになる。
自分はいまノドが渇いている状態なのか、渇いてない状態なのか、四六時中自分に問いかけていなければならなくなる。
何しろ「渇いている」と自覚したときは「すでに遅い」のだ。
「すでに」ということは「もはや」ということであり、「間に合わなかった」ということである。
とくに最後の一文! 単語でたたみかけていく東海林方式のこの展開、ぼくはとっても好き。
一緒に添えられる絵が、これまたいい絵なんです。
「小まめ」というフレーズに難くせをつけながら、「こういう人が意外に女に小まめだったりすることがあります 気をつけましょう」という注釈付きで描かれる、電車のつり革につかまったおじさん。このおじさんの表情がたまらないッ!
笑顔でもないし、無表情でもないし、ちょっと横目でこっちをチラ見している。「そうそう、こういう人が意外に小まめだったりするよなあ~ッ」と思わせる力がある。こんな絵が描けるって、よっぽどのことですよ!
ちなみに東海林本の中には、「小まめ」や「さもしい」の他に、「セコい」とか「浅ましい」だとかいう言葉やそれに呼応する絵が結構な頻度で登場します。そういう風に形容される人の表情って、ふつうの人はなかなか具体的な像が浮かばないのではないでしょうか。けれど東海林さんの絵は、目にした瞬間に、「そうそうこういう人!」と膝を打ってうれしくなってしまう。
押しつけがましくないのに表情が的確で。「いい絵ってどんな絵?」と訊かれたら、ぼくは東海林さんの絵だと答えます。
ぼくにとっては自分を自分に戻してくれるのが丸かじりシリーズ。出演作が重なって沢山の台本を読んであれをやったりこれをやったりしていると、うっかりすると何か自分が特別なことをやっているような気になる瞬間があったりします。そんな時に丸かじりのページを開くと、「自分はあくまでいち生活者である」って、ちゃんと居るべき世界に引き戻されるんです。だからロケにも必ず丸かじりを持っていきます。
昔の丸かじりは見事な落語のように、入りからオチまでが或る「型」で構成されているような印象がありました。そこからじわじわと型が進化して、『バナナの丸かじり』では一篇の終わり方がいきなり突き放すような若干投げやりな時があるんです。それがイイ! もはや禅の世界に突入していっている感さえあります。八〇歳を超えられた東海林さんにいよいよ次なる進化が始まって、さらに面白くなっていくんだろうなという予感に満ちていて、むしろこれから一層積極的に丸かじりを読むべし!
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