前に引いた小笠原氏の文中に、「物造などと称する長寸奇抜な太刀が流行」した時代に、婆娑羅の典型である道誉が「華やかな作風ではあるが、鎌倉時代の尋常な太刀を佩いたというのは意外な感じをうける」との記述があった。これは、あの道誉なら佩用の太刀はさぞかし婆娑羅を極めたものであったろうとの推測からであろう。「建武式目」に、「近日婆佐羅と号し、専ら過差を好み、綾羅錦繍、精好銀剣、風流服飾、目を驚かさざる無し、頗る物狂といふべきか、富者はいよいよこれを誇り、貧者は及ばざるを恥づ、俗の凋弊これより甚だしきは無し、尤も厳制あるべきか」(原漢文)とある。
「過差」とは贅沢が大いに行き過ぎていることである。ここに挙げられた「物狂」の諸相は、婆娑羅なるものが、他人と違う恰好をすることで自己証明とする明らかな証言である。そして「精好銀剣」の文字こそ、おそらく道誉が佩いていた「一文字」の太刀の拵が代表するような姿ではなかったか。現在この太刀の拵が失われているので、絢爛たる婆娑羅拵は想像するしかないが、婆娑羅拵という外見に反して、中身は鎌倉時代を代表する名刀である一文字を愛刀とする、ここに、一筋縄では捉えきれない多面体としての道誉を解き明かす一つの鍵があると考えることができるのではないか。
小著で、南北朝という動乱と向背常なき時代を生き抜いた道誉の婆娑羅ぶりを通して、自由と狼藉の間に潜む日本人の出処進退と美的感覚を瞥見し、人間という社会的存在にとって永遠の難問である自由、すなわち根源的主体性の在処を垣間見る小さな足掛かりを得たいと願うものである。
第一章と第二章は、道誉が生きた時代背景と出自についての概略である。面倒であれば第三章の道誉の婆娑羅ぶりから読み始めて下さってもよい。興味の赴くままにお読み戴ければ、著者としては十分満足である。
文中の表記について、基本的な書式は以下の通りである。主人公佐々木道誉の立場上、北朝年号を原則とするが、必要に応じて南朝の年号を使用する場合がある。年齢は数え年を用いる。道誉と導誉(自署はこれが多い)の二つの表記が史料に混在しているが、主として『太平記』に拠って婆娑羅という時勢粧を論じる本稿では、『太平記』が道誉と記し、一般にもそれが通行していることから、表記としては道誉を採った。また『太平記』『神皇正統記』など漢字カタカナ混りの文については、読み易さを考慮して漢字ひらがな混りに改めた。その他引用の史資料については、適宜かなを漢字に書き換え、送り仮名の不足を補った部分がある。御諒解を得たい。
(「はじめに 名物道誉一文字」より)
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