- 2021.05.20
- 書評
「杉村三郎は、防げない」――私立探偵という職業を選んだ男が負う役割とは
文:杉江 松恋 (作家・書評家)
『昨日がなければ明日もない』(宮部 みゆき)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書の親版である単行本の帯には「杉村三郎 vs. “ちょっと困った”女たち」という惹句が記されていた。「ちょっと困った」の意味は三篇で異なる。「絶対零度」ではそういう女性が依頼人となるのだし、「華燭」では杉村が困った女性と遭遇する。「昨日がなければ明日もない」では周囲を困惑させる女性が物語の中心になるわけである。話の中で振られる役割は違うのだが、それぞれの登場人物たちが、社会の中で女性が置かれている立場を代表するように描かれている点には注目したい。たとえば、本篇では困った人間として描かれる朽田美姫(くちだみき)も、観点を変えれば貧困化社会の犠牲者だともいえる。学歴など特段な武器もなく、ただ流されるだけの無力な存在だからこそ、周囲の人間に絡みつくような生き方しかできないのだ。朽田美姫の口に出さずにいる気持ちに杉村が思いを馳せる場面がある。そうした箇所に、宮部が自身の描く登場人物に向ける視線の公平さが表れているのだ。
本書で初めてシリーズに登場したのが、警視庁刑事部捜査一課継続捜査班の立科吾郎(たてしなごろう)警部補だ。本篇では、真相を知って呆然とする杉村に、彼がこう声をかける。
「あなたもしっかり頑張りなさい、探偵」
無力ではあるが、いなければならない。そうした杉村の役割を改めて認識させる一言により、幕は下ろされる。次に読者と出会うとき、彼はどのくらい強くなっているのだろうか。
先ほど親版単行本の話題を出したが、その奥付には、二〇一八年十一月三十日第一刷発行とある。同月には『希望荘』の文庫も出ており、同時刊行を記念して挟み込みのリーフレットが製作されている。シリーズの人物相関図と著者インタビューが掲載されたものだ。そのインタビューには二つの創作秘話が明かされていたので、ご紹介しておきたい。
一つは、二〇一一年を杉村が私立探偵としての第一歩を踏み出した出発点にしたことについて、である。作者が「どうしても震災の当日のことを書いておき」たかったため、『希望荘』収録の「二重身(ドッペルゲンガー)」には二〇一一年三月十一日の杉村が描かれている。震災の影響でそれまでのアパートに住めなくなり、杉村は大家であった竹中邸の居候となったのである。
本書収録の三篇は、それぞれ二〇一一年十一月、翌二〇一二年の一月、同年五月と、事件の起点がいつなのかが明確に記されている。独立開業してまだ一年経つか経たないかの、新米探偵の事件簿なのだ。インタビューによれば、シリーズの第四、五作を中篇集にしたのは、「杉村に探偵としてある程度の場数を踏ませたいと考えたから」であったという。
-
はじめの一冊~夏の青春フェア~
2021.05.06特集 -
人の話を聞かない、嘘をつく、謝らない、見栄を張る……「困った人々」が一線を超えた時
2019.01.24書評 -
杉村三郎は見る、この世のすべてを。私立探偵としての活躍、本格的に開始!
-
宮部みゆき 『昨日がなければ明日もない』&『希望荘』刊行記念インタビュー #1
2018.11.26インタビュー・対談 -
著者インタビュー 宮部みゆき「杉村三郎シリーズの愉しみ方」
2018.11.20インタビュー・対談 -
宮部みゆき・著「杉村三郎シリーズ」作品紹介とシリーズ相関図
-
『皇后は闘うことにした』林真理子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/29~2024/12/06 賞品 『皇后は闘うことにした』林真理子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。