二〇一〇年代以降、歴史時代小説の世界は、今村翔吾(一九八四年生まれ)、谷津矢車(一九八六年生まれ)、簑輪諒(一九八七年生まれ)など、三十代の若手が牽引するようになっている。この列に新たに加わったのが、本書『へぼ侍』で第二十六回松本清張賞を受賞(応募時の『明治大阪へぼ侍 西南戦役遊撃壮兵実記』を改題)してデビューした坂上泉(一九九〇年生まれ)である。
松本清張賞は、ミステリ、歴史時代小説の両方のジャンルで名作を残した清張の業績を記念して設立された賞だけに、現在は「ジャンルを問わない広義のエンタテインメント小説」を対象にしている。ただ歴代の受賞者を見ると、岩井三四二、山本兼一、葉室麟、梶よう子、村木嵐、青山文平、川越宗一など、実力派の歴史時代小説作家を輩出していることに気付く。著者は確実に、この列にも加わってくるだろう。
本書は、西南戦争を舞台にしている。江戸幕府を倒し、明治という新しい時代を作り政府の要職に就いた薩摩、長州を中心とする武士たちは、一般国民を兵士にする徴兵令、帯刀を禁止する廃刀令、実質的に士族の給与の支払いを打ち切る秩禄処分など、武士の特権を奪う形で急速な近代化を進めた。特に新政府軍として戊辰戦争を戦ったものの利権を得られなかった士族の不満は大きく、佐賀の乱、秋月の乱、神風連の乱、萩の乱などの不平士族の反乱は、いずれも明治維新“勝ち組”の藩で発生している。そして一八七七年、最大の“勝ち組”だった薩摩藩(鹿児島県)で、明治維新の立役者・西郷隆盛が率いる不平士族が蜂起して起きたのが、西南戦争である。
徴兵令で集められた民兵が、戊辰戦争を転戦するなどして練度も高い士族だけの薩軍と互角に渡り合った西南戦争は、武士の時代の終焉を象徴する内戦とされる。この解釈に間違いはないのだが、明治初期は徴兵と並行して士族などが志願する壮兵の募集も行われており、この壮兵は西南戦争にも投入されている。また西南戦争は、新聞各社が派遣した記者が、報道規制を行いつつも政府軍が記者を保護し便宜をはかった従軍制を使って最前線を取材し、東京から長崎まで開通した電信、九州各地に張り巡らされた電信網で遠く離れた戦地の情報を瞬時に大阪、東京に届けたため、新聞の発行部数が飛躍的に伸び、日本で新聞を読む習慣を定着させたとの評価もある。こうした知られざる史実とフィクションを鮮やかに融合した手腕は、東京大学文学部日本史学研究室で近代史を研究した著者の面目躍如といえる。当時は使われていない用語だった明治維新を「御一新」、幕府を「御公儀」と表記するなどした細やかな時代考証にも注目して欲しい。
大坂東町奉行所与力で、町の剣術道場も営む父・志方英之進の跡を継ぎ、幕臣の剣術師範になるはずだった錬一郎の人生は、「御一新」で一変する。英之進が鳥羽伏見の戦いで戦死し、役職も禄も失い、道場の門弟が去っていく時代の変化に耐えられず母の佐和は病がちになった。窮地の志方家に手を差し伸べてくれたのが、道修町の薬問屋・山城屋の主で、英之進に剣を学んだ久左衛門だった。幼くして山城屋の丁稚になった錬一郎は、武士の矜恃が捨てられず暇さえあれば木刀を振り回していたことから、久左衛門の娘の時子に「へぼ侍」と揶揄され、この仇名が定着していた。
錬一郎が丁稚入りして十年、十七歳の時に西南戦争が勃発した。「徴兵平民」では精悍な「鹿児島士族」と十分に戦えないと判断した政府は、「戊辰の動乱」を戦った士族を壮兵として「徴募」することを決める。幕臣ゆえに「御一新」の“負け組”になった錬一郎は、武勲を挙げ一発逆転を狙うため壮兵になる決意を固める。
ところが、壮兵になるには「軍務ニ服」した経験が必要で、「戊辰の動乱」の頃は幼く、その後は商家勤めの錬一郎には応募資格がなかった。この不利な状況をあっと驚く策略で覆した錬一郎は、九州へ向かう直前に消えた同じ部隊の一人をタイムリミットまでに捜すことを迫られたり、最前線では戦友と共に薩軍が発行した軍票「西郷札」を使って謀略を進めたりと、随所に配置されたミステリ的な仕掛けが物語をスリリングにしていくので、ミステリファンも満足できるはずだ。
清張のデビュー作は、西南戦争で再起をはかろうとするも果たせず東京で車夫になった没落士族の樋村雄吾が、高級官僚・塚村圭太郎の妻になっていた父の後妻の連れ子で密かに想っていた季乃と再会し、塚村から聞いた西郷札の投機話に巻き込まれていく『西郷札』である。主人公が西南戦争に従軍して逆転を狙うところや、西郷札をめぐる陰謀が描かれるところなど、本書には『西郷札』を彷彿させるエピソードもあるので、まさに松本清張賞に相応しい作品だったといえる。
錬一郎と同じく大阪鎮台で壮兵になったのは、「戊辰の動乱」を箱館まで転戦した歴戦の勇者というが、賭け事が好きで借金取りに追われる松岡、幕末に尊王攘夷派の公家に仕えた青侍で、「天朝はん」への忠義も厚いが、四条流庖丁道を学び、鉄砲より包丁を持つ方が得意な沢良木、元姫路藩の勘定方で、維新後は得意の算盤を活かして「バンク」に勤め十分な給料を得ているが、女房には新政府の役人にならなかったことを批判されている三木と、いずれも「御一新」の“負け組”で、一癖も二癖もある男たちばかりだった。三木の女房の考え方は現代人には分かりにくいかもしれないが、明治時代は官僚が国を支配し、民間企業は国の指揮命令に従うという官尊民卑の社会だったので、立身出世を重視する人間が「バンク」勤めを嫌うのは一般的な感情だった。それは、官吏だった内海文三が免職になった途端、互いに憎からず想っていたお勢も、二人の仲を認めていた母のお政も冷淡になる二葉亭四迷『浮雲』からもうかがえる。何とか壮兵になった錬一郎は、最年少なのに、なぜか堀中尉によって分隊長に任じられ、神戸から蒸気船「玄海丸」で激戦が続く熊本に送られた。
錬一郎が支給された最新式の「普式ツンナール銃」(発明者の名前からドライゼ銃。プロイセンの名称“Zündnadelgewehr M1841”から日本の公式文書は「普式ツンナール銃」とした)ほどではないが、薩軍も洋式の銃を装備しており、大砲の弾、銃の弾が飛び交い、銃撃が止まると白兵戦が始まる西南戦争が圧倒的な迫力で活写されている。一撃必殺の示現流で切り込んでくる薩軍兵士には、仕事の合間に学んだ錬一郎の剣術は通用せず、「普式ツンナール銃」の性能に助けられることもあった。
ただ著者は、戦闘シーンを描くだけでなく、時間があれば賭け事に興じ、現地で食材を調達した沢良木が作る絶品の料理に舌鼓を打ち、危険を承知の上で最前線の近くで商売をする地元の人たちと交流する錬一郎たちの何気ない日常も丹念に追っている。ごく普通の若者が、戦場に立つと生き残るために敵を殺すギャップが戦争の悲惨さを際立たせており、特に戦争で体を売らざるを得なくなった十五歳の娘に、錬一郎が客と遊女を超えた感情を抱くようになる展開は、せつなく思えるのではないか。
熊本に着いた時はまったくの新兵だったが、激戦をくぐり抜け薩兵との渡り合い方を学んだ錬一郎は、戦後の身の振り方を模索するようになる。そんな錬一郎に影響を与えるのが、「郵便報知新聞」の記者・犬養仙次郎(毅)と、軍医の手塚である。
「東京日日新聞」の福地源一郎(桜痴)が担当した「戦報採録」が、田原坂の戦いなどを血湧き肉躍るスペクタクルとして報じたのに対し、犬養が書いた「戦地直報」は「我が軍夜半に襲ひ、賊の寝覚めるに乗じ、一斉に切り入り、当るを幸ひ切り伏せ、薙ぎ倒し、累々と積みし死骸は其儘台場の穴へ投げ込み、少しく土を掩ひたるのみなれば」、「田原坂は死屍爛臭の気鼻を撲ち、掩はざれば頭脳へ迄薫し一歩も進み難き程なり」(「郵便報知新聞」一八七七年四月六日)とするなど、尊厳が奪われモノとして扱われる大量の死者を生み出す近代戦のリアルを伝えた。
といっても犬養は、社会を変えるために記者になったのではない。苦学生だった犬養は、藤田茂吉が主筆の「郵便報知新聞」で働きながら福澤諭吉が創立した慶應義塾で学び、藤田に西南戦争を取材すれば卒業までの学費を出すといわれ、現地に行っただけなのだ。決して新時代の“勝ち組”ではない犬養から、大学で社会のシステムを学ぶことの大切さと奥深さを聞いた錬一郎は、改めて勉学に励むのも面白いと考え始める。
軍医の手塚は、“漫画の神様”手塚治虫の曽祖父にあたる良仙である。手塚は、適塾時代に福澤と交流を持っており、『福翁自伝』には、身持ちが悪く「北の新地」で遊び歩いていた手塚を諭したとの記述がある。薬問屋で働いた経験がある錬一郎は、手塚と話をするうち、医者になるのも悪くないとも思うようになる。
犬養の師の福澤は道修町の近くにあった適塾で学び、同じ時期に手塚も通っていたなど、錬一郎はホームグラウンドで暮らしていた人物から薫陶を受けており、一つ一つの設定にも緻密な計算が施されていることが見て取れる。終盤には、前半の何気ない一文を伏線に用いたどんでん返しも用意されているだけに、衝撃を受けるのではないか。
明治初期は「賊軍」だった旧徳川方にも武官の道が開かれていたが、錬一郎は陸軍幼年学校や海軍兵学校に入学できる時期に、商家の丁稚になっていたので時流に乗り遅れたと感じていた。バブル崩壊後の就職氷河期は、高校、大学を一九九〇年代半ば頃に卒業した世代から始まるが、その最初期は、遊び歩いていた先輩たちが楽に就職先を決めるのを見ていたので“なぜ自分たちだけが”という不満も大きかったようだ。
ただ、わずか一年どころか数ヶ月の差でまったく違った状況になるのは珍しくはないので、自分の力ではどうしようもないタイミングと、押し留められない歴史の流れに翻弄され“負け組”になった錬一郎たちの不安と鬱屈に、我が身を重ねる読者は少なくないように思える。人生の逆転を賭け壮兵になった錬一郎たちは、激戦を経験するたびに成長し、沢良木がさらに料理の道に邁進し、三木が女房から軽蔑された金勘定で時代を切り開くなど、それぞれの得意分野で西南戦争後を渡っていこうとする。
「御一新」の“勝ち組”だった薩兵が「逆賊」になる皮肉な戦争に参加した錬一郎たちは、勝/敗があざなえる縄のように曖昧であると痛感し、真っ直ぐに目標に進めなくても、まわり道した先で積んだ経験は絶対に無駄ではないと知る。この展開は、“負け組”になっても諦めなくていいし、再チャレンジに遅すぎることなどないと教えてくれるので、現代を生きる「へぼ侍」たちに、前向きに新たな一歩を踏み出す勇気と希望を与えてくれる。その意味で、少子高齢化による人手不足などもあり就職活動が空前の買い手市場だったのが、二〇二〇年の新型コロナウイルス感染症の拡大で一転、先行きが不安になった時期に本書が文庫化された意義は大きいのである。
旧徳川時代の武士のように武で世渡りしたかった錬一郎だったが、犬養に「パアスエイド」(説得)の大切さを教えられ、戦場では役に立たないと考えていた商人の交渉術で危機を脱したこともあり、剣や銃ではなく、弁舌で闘う新たな武士道に活路を見出す。近年は、事実や証拠を示さない極論を主張し、論理的に反論する人間は徹底的に揶揄して回答はスルーするなど、「パアスエイド」が存在しない言論空間がネットを中心に広がっている。それに影響されたり、実践したりする政治家も現れ、「パアスエイド」なき社会がこの国の将来を左右する危険が出てきた今、著者が錬一郎の導き手に犬養を選んだ理由も含め、本書のメッセージは真摯に受け止める必要がある。
著者は二作目として、一九四九年から一九五四年まで実在した大阪市警視庁を舞台に、中卒で叩き上げの新城と東京帝大出のエリート・守屋という対照的な相棒が、被害者が頭部に麻袋をかぶせられる連続殺人の謎を追う本格派の警察小説『インビジブル』を発表、惜しくも受賞は逃したが第一六四回直木賞の候補になり、第二十三回大藪春彦賞と第七十四回日本推理作家協会賞の「長編および連作短編集部門」を受賞した。短期間で飛躍的に成長した著者の今後の作品にも、注目して欲しい。
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