そういった情報の上に、第3章ではライター、第4章ではカメラマンという、スポーツ取材に欠かせない外部スタッフが物語の中核を担い、それぞれの苦労と努力が綴られる。編集部が企画を立て、専門知識と経験を持ったプロフェッショナルたちの技術が集まり、記事が作られるのがよくわかる。そして何より、雑誌に携わる人々が抱くアスリートへのリスペクトが、通奏低音のように全編に流れている。これをまず、覚えておいていただきたい。
本書には明日香の仕事の描写と並行して、幼い頃のスイミングスクールでの出来事が綴られる。お稽古ごと気分だった明日香はそこで、子どもながらに本気で競泳に挑む選手コースの友人たちの姿を目の当たりにした。結果が出せずに泣き、ライバルに先を越されて悔しがり、プレッシャーと戦い、自分の醜い面と向き合いながら、それでも諦めない姿を見た。そして後に、そんな友人のひとりは水泳をやめ、もうひとりはオリンピックの選考会に出るレベルになっていたことを知る。
お仕事小説になぜ彼女のこんな思い出話が入るのか。それが「伝える」ことの意味につながるからだ。
明日香は早々に水泳をやめている。それでも子ども時代の体験を通して、競泳選手のリアルを知っている。苦しみを知っている。試合中の姿からだけではわからない、そこに至るまでの物語を知っている。だからオリンピックを目指して水を掻く友人の姿に胸が熱くなる。力一杯応援したくなる。
知っている、というのがポイントなのだ。もちろん選手の個人データなど知らなくてもスポーツを観戦するのに何の問題もない。けれど知っていることで、受け取るものは何倍にも膨れ上がる。その情報があるからこそ、人はそこに人生を見る。時には自分の人生を重ねる。明日香の思い出話のパートはそれを示唆するためにある。彼女の場合は実体験ゆえだが、そうではない人にも「伝えてくれる」のがスポーツ雑誌なのだ。
スポーツ好きの読者には見当がついているだろう、「Gold」のモデルは文藝春秋のスポーツ誌「Number」である。個人的な話で恐縮だが、私はプロ野球の中日ドラゴンズのファンで、ドラゴンズが優勝したときの「Number」の特集号はすべて保存してある。ここ十年ほどはなぜかそのコレクションが増えないのだが、まあ、それはさておき。自分の人生に損得があるわけでもないスポーツになぜここまで惹かれるのか。本書を読んだとき、それは「知ったからだ」「伝えられたからだ」と気づいた。
ドラゴンズを好きになったきっかけは他愛もないことだったが、一度興味を持って試合を見続け、情報番組やドキュメンタリーに触れ、そして「Number」のようなスポーツ誌の記事を読むうちに、少しずつ選手やチームに詳しくなっていった。この投手はケガのあとでこんな工夫をしていたんだな、この選手のあの走塁にはこんな理由があったのか。そういう物語を知っていくと、選手への敬意が増した。試合を見る目が変わった。伝えられたからこそ、知ったからこそ、楽しみ方が増えた。同じ経験を持つ人は多いのではないだろうか。
本書第1章での中継ぎ投手の言葉を読めば、敗戦処理で出てくる投手を見た時、あるいは接戦でマウンドを託されたリリーフを見た時、前には感じなかった見方ができるだろう。読者に物語を与える。それが「伝える」ことの大きな意味である。
本書にはもうひとつテーマがある。作中、オリンピックを諦めた人と諦めなかった人が登場する。大崎梢は諦めた選手を責めない。オリンピックに挑戦できるアスリートはほんの一握りで、大部分はその前にやめてしまうのだから。
これはスポーツに限らない。音楽でも何でも、夢を叶えた人の陰には途中で諦めた何万倍もの人がいる。そんな諦めた側の人が、諦めずにさらなる夢に挑戦する人を見たら、どう感じるだろう。「自分にはできなかった」という自己嫌悪や嫉妬を覚える人もいるだろう。けれどその人が「自分もやれるところまではがんばった。でもこの人はもっとがんばったんだな」と思えるようになったら。自分の夢は叶わなくても、叶えた人の努力を素直に讃え、応援できるようになったら。
作中に、まさにそういう変化を見せる登場人物がいる。憎い競争相手だった人を、素直に尊敬できるようになった人がいる。人を尊敬できるということは、過去の自分を赦し、相手を認め、嫉妬や自己嫌悪というネガティブな思いから解放されるということだ。それは人として素晴らしい成長ではないだろうか。その人物は言う。「私は生まれて初めて人を応援しようとしているよ」──本書の白眉と言っていい場面である。
だからスポーツ情報誌はアスリートのリアルを、努力を、裏側を「伝える」のだ。ライターは言う。「真剣勝負には、苦しくてつらい以外のものがあるから」──それを「伝える」のだ。諦めた人が、過去の自分の努力を認め、他者の功績を素直に「すごい!」と讃える気持ちになれるような、アスリートの物語を伝えるのだ。
第4章に登場するバスケのトレーナーは選手からの転身だ。第5章のサッカーのコーチも元選手だ。かつてプロレスラーを夢見た食堂の大将は、今は大のプロレスファンだ。彼らが一様に魅力的なのは、挫折した過去の自分を赦し、認め、その上で、自分には叶えられなかった夢に向かう選手たちを応援しているからに他ならない。
本書は成長小説ではないと書いたが、訂正しよう。『彼方のゴールド』は、かつて夢を追ったことのある、あるいは夢を追っている最中の、すべての人の成長物語である。
著者の大崎梢さんは、本書を執筆するまでは特にスポーツには興味がなかったという。ところが取材の過程で横浜DeNAベイスターズを知り、今では横浜スタジアムに観戦に行くほどのファンになった。これもまた「知った」「伝えられた」からだ。こうして伝えてくれる人がいるから、スポーツは人を魅了していく。
本書が雑誌掲載されたのは二〇一七年から一九年にかけてで、最終話でオリンピックイヤーの話が出ていることからもわかるように、コロナ禍でオリンピックの延期が決まる前だ。この原稿を書いている二〇二一年四月の時点では、今年の開催がどうなるかはまだ何とも言えない。アスリートたちはどんな思いでいるだろう。スポーツ情報誌は、延期されたオリンピックと翻弄されたアスリートをどんなふうに「伝える」のだろう。
その記事に挑む明日香の物語を、いつか読んでみたい。
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